社長は一緒に外へ出てくると、私がホテルと反対の方向へ歩き出したのを見て呼びとめた、「違います、違います。あちらの方に行かなければなりませんよ!」
私は、「あちらの方はたくさんの絨緞商人がいるんで、遠回りするんです」
社長は親切にイスタンブールの絨緞商人が危ないよと教えてくれたが、それはもうすでによく分かっていた。それで、社長にありがとうとお礼の言葉を述べて、旅行社を後にした。
絨緞屋を避けたにもかかわらず、一人の若い売り子が私に近づいてきた。
彼は私の友達のように声をかけてきた。
「どこへ行くんですか? 私が絨毯(じゅうたん)博物館にご案内しましょうか?」
私は今晩帰国すると言った。ホテルにすぐ帰って荷造りをしなくてはならないし、子供が一人でホテルで待っているので、時間がないと言った。
私の言った事はすべてホントのことだったので、ためらわずに彼の申し出を断ることができた。
その晩、私たちは昨日の晩にも食べに行った中華料理店にでかけた。
外は暗くなっていた。
私たちが店に入るとすぐに、若い従業員がやって来て、窓際のテーブルに案内した。昨日私たちを案内したのもこの従業員だった。
私たちが窓際の席が気に入っていると覚えていたのだ。
私たちのテーブルに来た若い女の従業員は、多分、中国人だろう。そこで、中国語で注文してやろうと思った。ここ2週間ばかり中国語を使うことができなかった。(私は名古屋駅の近くにある中国語学校で中国語を週に一回習っている)
メニューを見ながら、中国語の普通話〈プートンホア〉(中華人民共和国のいわゆる標準語)で注文した。
しかしその女性は表情を変えなかったので、私の話した中国語が理解できたのかどうか分からなかった。
私はこの人は南方人(北の人が大陸の南方の人を呼ぶときに使う言葉)かなと心の内で思った。ならば広東語を話すことができるのか。
しかし、彼女はオーダーを聞き終わると、テーブルを離れた。
あのトルコ人の男性従業員は私が中国語を話すのを見ていて、訳が分からないという顔をした。私が日本人かそうでないか分からなくなったという様子だ。
私たちが昨日と同じラーメン、餃子、チャーハンを食べていると、よそのテーブルの方から何人かの中国人が騒がしく話している声が聞こえてきた。彼らはここイスタンブールで仕事をしている華人なのだろうか?
お酒を飲んでいるらしい。
息子がのどが渇いたというので、ミネラルウォーターを一本たのんでやった。
食べ終わって、息子が自分から勘定をしてくると言うので、30ユーロ持たせたが、カウンターに行くと戻ってきて、言った。
「お金足りないぜ!」
私は「今日はミネラルウォーターを飲んだから。街で買うより6倍から10
倍したんだね」
息子は、「ひでい!」と言った。
ホテルに帰ると息子は私たちのスーツケースを一階のカウンターのそばに運んだ。
部屋の中に忘れ物がないかどうかチェックし終わると、ベッドに寝転んだ。
夜の9時に旅行社が空港まで送ってくれる。
この世界遺産歴史地区の古いホテルはとても小さいが、客室の家具は美しいもので、悪いところがない。
本当にノンビリするのに最適なところだ。
新市街地のホテルのほとんどが新しくて大きく、客室の数も多い。日本の大手の旅行社が指定している。
しかし、インターネットで偶然見つけた旅行社が紹介してくれたこのホテルに私は満足だった。私たちは運が良かったのだ。
9時になる前に、部屋の電話が鳴った。
従業員が旅行社が迎えに来たと教えてくれた。