土産を買った後で、旅行社の社長に挨拶(あいさつ)に行こうと思った。
ローマ競技場の南まで来ると、最短ルートを取らずに回り道をした。
というのは通り道に面した建物の中央に一軒の絨緞屋が入っていて、その店の店員が外に出て、道行く人に声をかけているかどうか分からなかったからだ。観光客はそこを呼びとめられずに通り過ぎることは絶対できない。
そこで私はその商店を避けて、回り道をした。
これはうまい方法だったらしく、一人の客引きにも会わずにすんだ。
私が旅行社に入ると、社長はパソコンの前に座っていた。
私を見るとすぐに若い者に紅茶を入れてくるようにいった。
この時、私はものすごく暑くて、熱い紅茶は飲みたくなかった。
そこで、私は、彼に向かって、「私、冷たいのが欲しいんですけどね」と言った。
しかし、社長が困ったなあという顔をしたので、大慌てで、「冷たくても、熱くてもどちらでも良いです」と言い直した。
はたして、若いのが私に入れてきたのは、熱くて火傷しそうな紅茶が入った小さなガラスのカップだった。
社長は私に、アジアの旅行はどうだったかと尋ねた。
そこで私は病気になって医者に診てもらったときのどうにも大変な顛末(てんまつ)を話した。
社長は、「その時私に電話してくれれば良かったのに。私ならすぐに面倒見てあげたのに」と言った。
この社長は旅行者の面倒を見るのが嫌ではないらしいと思った。そうとは知らなかった。(業務範囲として頼っても良いのかどうかが分からなかったという意味)
しかし、思っていたことを口に出すことができなかった。
そこで、私は、「ドクターが必要だったときは、夜の11時を回っていて、すごく遅かったんですよ!」
社長は、「そうなんですか・・・」と言った。
少し間を置いて、「ホテルに電話して文句を言ってやりますよ」と言った。
私は、「いいです。もういいです」
「問題をそのままにしておくことはできません。将来同じようなことが起きるかもしれないでしょ?」と社長。
私は社長の態度が立派だと思ったが、何も言わなかった。
社長は、「従業員が親切でなかったなら、あなたはマネージャーにこうやって手紙を書くんですよ」と書く動作のジェスチャーをした。
社長はホテルのマネージャーを知っているのか、マネージャーのすることに間違いはないと信用しているようだった。
私は、高熱を出している私を、一階のフロントまで呼びつけた従業員たちを思い出した。彼らは四人ともカウンターの奥に座って、私を立たせておいたのだ。
その四人の中の頭の禿げ上がった中年男性が、英語で私に言い放った、「You must go to Izmir ! (あなたはイズミールに行かなければならない)」 あるいは「お金の問題はあなたが直接病院と相談してください!」と。
禿頭の男性の言ったことは妥当なことかもしれないが、人としての温かみがない。今考えると、彼があのホテルのマネージャーだろう。
思わず知らず、私は怒りがあらわな声を上げていた。
「(マネージャーが)一番意地糞悪(いじくそわる)いんじゃないですか!?」
社長は私が突然発した高い声にビックリしたようだ。
私自身もビックリした。そこで私はすぐに話題を変えた。
予約してある飛行機が定刻に出るかどうかを確認する必要があるかどうかを社長に聞いてみると、社長は、「必要ありませんよ。トルコ航空は国立の会社ですから、もしも彼らがそんな仕事をやっていたら、すぐにこれですよ」と言うなり、片手を首に当てて、「クイッ!」という声を発した。
私がこのジェスチャーを目にしたのはこれが二回目だ。
一回目はカッパドキアだった。
社長の意味するのは解雇のことだろう。日本でも『首』といえば解雇をさす。
その後で、社長は私が社長のデスクの上に置いた50ユーロを指し示して、「(飛行機のことで)お金はいりませんよ。それともこれはチップですか?」と言った。
私は、「そうです。奥さんに何か買ってあげてください」と言った。
というのは、私がインターネットでやりとりしたのは日本語の読み書きのできる彼の日本人の奥さんだったからだ。(彼女には会えなかったが)
それと、ガイドさんたちに色々迷惑をかけたことの償いの気持ちもあった。社長さんに説明するのも恥ずかしくて言えなかったが。