私と息子が〈三本の記念碑のある公園〉ヒポドロームに戻ってくると、とても大きな一棟の建物が現れた。
建物の入口には赤いトルコ国旗が掲げてある。重要な国立施設に違いない。ホテルから観光に行くときに、毎回ここを通っていた。
それなのに私たちは気がつかなかった。
この時になって、初めてここがトルコイスラム美術館であると気がついたのである。私たちのホテルからここまで150メートルしか離れていないのに、私たちはまだ入ったことがなかった。
しかも、時刻は今、4時を回っていない。それなのに参観停止の表示がされている。本当に残念だ!
ホテルに帰ると、私たちはひと休みした。
私は息子に、「哲ちゃん、あんた何が食べたい?」
息子は、「休んでから、昨日の晩食べた中華料理屋で食べようぜ!」と言った。
時刻が5時ぐらいになると、私は落ち着かなくなった。
スーツケースの整理をしなければならないし、今晩私たちが乗る飛行機が定刻に出るかどうか、確認しなければならなかった。
アジア側からイスタンブールに戻ったときに、私はトルコの航空会社に電話して予約した航空機に我々の席があるかの確認(Reconfirm)はした。
しかし、インターネット上で、ある日本人の忠告を目にしていた。
書かれていたのは、「トルコ航空の飛行機が当日に飛ばなくて、困ってしまった。私が聞いたところによると、飛行機が予定より早く出発してしまって、空港に着いたときにはもう離陸した後だったということもある。だから当日に出発が定刻かどうか確認の必要がある」というものだった。
私は英語を使って、すでにリコンファームはしてあるが、ガイドブックは英語の苦手な人はホテルの従業員に替わってもらって電話しなさいと述べている。
そこでフロントにおりていき、若い男の従業員にたのんで、航空会社に電話してもらった。
私は従業員にたのむときに、英語を使って、『on time or delay(定刻かそれとも遅れるか)』と言った。
従業員は私の言うことが聞き取れなかったのに航空会社に電話した。
何かを話した後で、受話器を置いて、両手を広げて私に見せて分からないよと示して見せた。
彼は元から私の言っていることを理解していないのだ。
私は飛行機の情報が得られないまま、彼に5リラやった。
この時、支配人とおぼしき男性がやって来て、すぐに旅行社の電話番号をメモして渡してよこした。
私は困惑した。旅行社は役に立たないと思ったのだ。旅行社はトルコ国内の旅行の会社だったからだ。
アジアで私が病気になったときも全然彼らに助けを請おうとは思わなかった。それで、電話番号のメモを受け取ったが、安心できなかった。
私は当然旅行社の電話番号は知ってるんだけどなあ。それで私は困惑の顔つきをしていて、サンキューと言わなかった。
支配人は訳が分からないから、「この礼儀知らずの日本人め!」と思ったかもしれない。
部屋に帰ると、息子はシャワーを浴びて、ベッドに寝ていた。
「私は街に行って何か土産を買ってくるよ。まだお父さんにあげるものを買っていないからね」
その後で、一人で外に出た。
スルタン・アフメット駅まで来ると、土産物の商品陳列をしてある半地下式の商店を見つけた。階段を下りていくと、店の中に他の客はいない。
商品は所狭しとぎゅうぎゅうに詰め込んである。
私は時間がないので、すぐに買うものを決めた。
天井からぶら下がっている直径10センチほどの藍色(あいいろ)の陶器のボールである。使い道は青いガラスの目玉のお守りと同じだろう。
私は店の主人に言った、「飛行機に乗って帰るので、しっかり包んでください」
主人は慣れた手付きで、プラスチックの緩衝シートで上手に包んでくれた。