私たちの乗った遊覧船は、富裕層の住んでいる別荘地帯にさしかかった。
大部分がヨーロッパ様式の古典的な建物で、この辺りに住む人はみんな自家用モーターボートを持っている。
海峡に面している正面の巾は、大体30メートルだ。これらの別荘は大きいとはいっても、隣家との距離はたった数メートルだ。
多分海峡に面している土地が高いからだろう。
豪華な建物の景色は目の前の海岸に連綿と途絶えることがない。
天気も良いし、海上を風が吹いてくるし、眩しい風景に私は気持ちが晴れ晴れとしていた。
この時になって、ようやく休もうと思った。
そして他の乗客たちを眺めた。
2歳ぐらいの幼児が一人、船端のベンチに体を横たえている。一本の手すりだけが海と隔てている。
もしもごろりと寝返りを打てば、そのまま海に転落する。
遊覧船の速度も速い。海に落ちたら幼い命がどうやったら助かると言うのか?
幼児の傍らには、小学生ぐらいの黒い髪、大きな黒い目の女の子が座っている。幼児のお姉ちゃんだろう。
彼女の視線は景色の方を向いている。
もう一方の隣に座っているのは、スカーフをかぶった子供の母親だ。母親も幼児の傍らのベンチに座りながら、目は別の方を向いている。
船上にはヨーロッパ、アメリカ、中近東の観光客が乗っている。
ある者は座り、ある者は写真を撮るために立っている。
遊覧船は一番見る価値のあるところを通り過ぎてしまっている。
私は今ベンチに座って、のどが渇いたと感じていたが、持ってきたミネラルウォーターのボトルには水は残っていなかった。
この時、一人の若い男性が、飲み物を入れたカゴを持ってやって来た。カゴの中には2、3本のコカコーラの缶しか入っておらず、ミネラルウォーターはなかった。
私はすぐに2本を買わざるを得なかった。
この従業員は最初は船内で販売を行っていて、今ようやくここまで売りにやって来たのだろう。
あんまりのどが渇いているときに、コカコーラは体に悪い。しかしこのコーラはよく冷えていて、のどごしが良かった。
アジア側の海岸の建物の風景が途切れた。
と突然、ヨーロッパ風の古典的な大きな建造物が現れた。それはオスマン帝国のもう一つの宮殿で、ベイレルベイ宮殿【Beylerbeyi sarayı】という。
最後に遊覧船はコンスタンチノープル近くの海域に出た。
その海上には『乙女の塔』クズ・クレシ【Kız Kulesi】と呼ばれる塔が現れた。
伝説によると、この地方の一人の太守がある占い師に自分の娘の運勢を占わせたところ、占い師は、「娘は十六にならないで死ぬ」と言った。そこで太守は陸地から2百メートル離れたこの塔の中で娘を育てる。
娘が十六になる誕生日、太守は娘に果物の入ったカゴを贈った。
カゴの中には毒蛇が隠れていたのである。娘は毒蛇に嚼まれて死んでしまった。
この物語は中東には広く流布している伝説で、いろいろな地方で似たような話が伝わっている。
この塔も観光スポットの一つだが、今は白い布がかけられて、修復中のようだった。
とうとう遊覧船は船着き場に戻った。行き交う船の数は多い。
私と息子は船を下りた。
昼ご飯が食べたかった。ガラタ橋(Galata)には釣り人がいて、橋の下では、鯖(さば)サンドが売られているので有名だ。
しかし、船着き場には屋台が見つからなかった。船を使った屋台は夏は衛生面で問題があるというので営業が止められていたらしい。
息子は、「電車に乗ってホテルに帰るぜ!」と言った。
息子は目ざとく、大変混雑している船着き場の道路上にある路面電車のホームを見つけた。しかも、そこに渡る地下道の入口も見つけた。
息子はひたすらホテルに帰りたいと思っていて、私が街のレストランで食事をしようと提案したが受け付けなかった。
ものすごく疲れていたのだろうか?