私と息子は見張り台の階段を下りてから、電車に乗った。
トプカプ門に戻る途中の駅で、下車した。
ホームから周囲を眺めるためだ。
鉄道のレールと長い長い城壁の間には、一本の道路が平行に通っている。道路上にはパラパラと数台の車が走っている。
城壁の上にはトルコ国旗がはためいている。展望台があるようだ。しかし私たちは展望台には行かなかった。
遠くを眺めてみると、北の方には巨大な寺院の大伽藍が小さな白い半球になって見えた。そのあとで、次の電車に乗った。
電車はトプカプ門に着いた。電車の駅の近くの芝生の広場を散歩したいなと思った。その広場は公園かもしれない。百メートルぐらい遠くに、大きなレストハウスのような建物があった。
芝生の中の舗装された一本道の周りには小さな木が整然と列をなしている。木は小さすぎて木陰で休むというわけにはいかない。
この公園は作られて間もないのだろう。
私たち以外に誰もいない。
城壁の状態は場所場所によって一様でない。六角形や長方形の見張り台があった。保存状態が完全なところもあるし、半壊しているところもある。
城壁の足もとには名前の分からない赤い花の咲いた樹木があった。
何本かの樹齢何百年もの大木が城壁を覆い隠している城壁もあった。
ある場所は原生林の中の古代の建物のようだった。
またある所は、一本の木もなく、完全に乾燥していた。
私と息子は、長城に沿って南に歩いて行った。
かつては内城壁と外城壁の二重の長城がコンスタンチノープルを守っていた。長城の内城壁の一部は壊れているものの、高さが10メートル以上もあって、所々、私たちが先ほど登ったような見張り台がある。ところが外城壁は、ほとんど全て壊れている。そういうものがあったとガイドブックで読まなければまるで気がつかない。
外城壁の跡はまるで倒壊した一般住宅の庭の石塀のように低い。50センチぐらい跨(また)げば、見上げるように高い内城壁のふもとに簡単に立ち入ることができる。
内城壁のふもとは荒れ地になっていた。
私たちが内城壁のふもとを散歩したとき、10メートルぐらい離れたところに、大きな犬が一匹いるのが見えた。動作は緩慢だ。
私たちはすぐにこの犬から離れた。
野犬をよけたあとで、息子が言った、「母ちゃん! 僕ねえ、子猫の死体を見たよ。その頭には皮がなかったよ。野良犬が食っちまったんだよ」
私がこの辺りは恐ろしいところだと思い出した頃、息子が言った、「母ちゃん! あそこのところで僕の写真を撮ってくれない?」
息子が指さしたのは、見張り台の塔の入口だった。
息子は何段か上がった後で、石窟の中でうずくまり、私が写真を撮るのを待った。そして、また、長城の足もとに立ったところを撮らせた。長城があまりに大きいので、息子の背後の城壁全部を写真に入れるために、私は後ずさりした。
撮影し終わった後で、私たちは17才ぐらいの女の子に出くわした。彼女は濃い茶色のタンクトップと黒いショートパンツを着ていた。私はいつの間に彼女が私たちに近づいてきたのか分からなかった。私は彼女の顔を見ながら、つぎの彼女の行動を待った。彼女の皮膚は浅黒く、頭髪も黒い。ジプシーだろう。
彼女は口を開けて叫んだ。「Money! 」
私はすぐに理解した。彼女はお金をたかりに来たのだ。私はすぐに、息子に言った。「逃げよう!」
私たちの行動は敏捷で、彼女は私たちに追いつくことができなかった。その後で、彼女の目標はほかの観光客に向かっていった。
この時、一人の白いショートパンツを穿いた欧米の中年女性が私たちの後ろにいた。(多分、彼女はここにいるのが危ないと思って、私たちといっしょにいたいと思っていたのだろう) もともとジプシーの女の子は彼女をつけていたのだ。
私の所まで聞こえてきた。「Money! Money! 」という声が。
欧米女性は「Oh!」と一声叫んで体をヨタヨタ揺すりながら、反対の方角へと逃げていった。
帰国後、わかったことだが、私たちがいたのは公園ではなかった。墓地だったのだ。写真の中に棺桶を埋葬するために長方形に地面を区分けしたコンクリートが写っていた。
なるほど人の姿がないと思ったが、真夏に墓場を散歩する人もいないはずだ。物好きな観光客ぐらいのものだ。