息子が私の所へ来て言った。
 「 母ちゃん! ぼくたちここから城壁に登ることができるよ」
 息子は半分崩れて草が生い茂っている城壁を指さした。
   
 息子は先頭に立ち石段を登った。
 私はと言えばよろよろとその後を追った。
 3メートルの高さに上がると、野草がぼうぼうと茂る一筋の石畳道があった。7、8メートルぐらい進んでいくと、さらに石の階段があった。
 私は息子に聞いた。
 「どうしてこの道を知っているの?」
 息子は、説明した。
 「運転手が教えてくれたんだよ。ついさっき、観光バスが止まっているところで、たばこを吸っている運転手に偶然会ったんだ。その運転手が、あの城を指さして、『登れるものなら登ってみな!』って言ったんだよ」
   
 私たちは石段を登り、とうとう壊れた城壁の頂に着いた。そこからは石段がない。
 そこで私と息子は両手をついて1メートルぐらいの城の壁をよじ登った。
 私たちがたどり着いたのは7キロの長さの長城にある95の見張り台の一つだった。
 この見張り台は六角形で、ローマ時代には多分4、5階建てだったのだろう。しかしオスマン帝国軍の石の砲弾が頂を壊してしまった。それから6百年が過ぎた。
 見張り台の頂は非常に高く、立っているのは危険なので、私たちは体を低くして踏みとどまっていた。
 私たちが、うずくまっている場所は塔の壁の部分で、もともとは見張り台の頂上の回廊の床だったところで、巾は3メートルもあり、高さは24メートルだという。
   
 ここから三百六十度の風景が見渡せる。
 東の方の市街地には屋根瓦が鱗(うろこ)のように並んだ赤いレンガの屋根が樹木の緑の間に見え隠れする。
 その向こうは金角湾だ。
 西の方は農地と樹林だと思っていたが実は墓地。
 南の方はマルマラ海まで蛇行した長城だ。
 私たちが感動したのは、すぐ足もとにあの巨大なミフリマフ・ジャーミーの大伽藍があり、見渡すことができたことだ。
 たくさんの小さな半円形のドームや尖塔を従えたライトブルーの大ドームである。
 私たちは入ることができなかったが、この目でこんな大きな寺院の外観を上から目に納めることができた。
 これは運が良かったと言えよう。
 もしも私たちが勇敢だったら六角形の城壁の上をたどって行っただろうが、あまりにも怖くて、立ち上がることすらできなかった。
   
 ローマ時代には4、5階だった建物の屋根と床は抜け落ちている。
 今では六角形の見張り台(城頭)がひとつの巨大な井戸のようだ。
 ただうつろな大穴が空いている。
 巨大な井戸の桁(けた)のような城頭の上からは穴の底、地上から生えてきた何本かの木の梢(こずえ)が眺められた。それから城頭の壁の隙間から生えてきた何本かの灌木も見えた。
 夏の午後の天気は晴れ。三百六十度の風景は美しい。
 私と息子は交互に互いの記念写真を撮り、カメラを貸し借りしながら風景も撮った。
 息子は言う。「もしも落っこちたら命はないな!」
 トルコ人の運転手が親切に、ここの人だけが知っている場所を教えてくれたので、こんな忘れられないような冒険ができたのだ。
   
 帰国後知ったのだが、観光客には観光客用の登り口がある。修復していない城壁は大変危険だからである。だが、城壁は7キロもの長さがあるので、トルコの政府には全部管理するのは難しいだろう。

ミフリマジャーミーと城壁の間の細い道路。

城壁には階段が有り登っていけそうだった。

レンガ混じりの分厚い土塀のように見える長城の崩れかけた階段を登っていくと果たしてテオドシウス城壁の望楼の頂上に到達した。息子の背後は金角湾。

崩れかけたテオドシウス城壁に登ると、先ほど参観できなかったミフリマフ・ジャミーの威容が目の前にあった。

テオドシウス城壁の上

360度の絶景だ。北は金角湾。

東にカメラを回していく。

金角湾入口の丘に立つモスクの尖塔が
地平線上に認められる。

さらにカメラを回していくと、ミフリマフ・ジャミーが
ファインダーに入る。

ミフリマフ・ジャミーの内廊の壁は足場が
かけられていて修理中と思われる。

角度を変えてミフリマフ・ジャミー。

カメラを南に回していくと、トプカプ宮殿や
ブルーモスクの方角だ。

我々の怖くてしゃがみ込んでいる円筒状の望楼は高さ14メートルぐらい。中央の床は抜け落ちている。

望楼の向こうの側の外壁の方角にも
イスタンブールの市街地エユップが広がっている。

望楼の筒の下の方から伸びた
潅木の枝が のぞいている。

黒々とした穴の様子が実感できるでしょうか?

ジャーミーの外廊の屋根。多数のドームが
日に照らされているのはなんだかユーモラスだ。

城壁ギリギリより西を望む。

崩れかけた城壁最上部の城内側通路に生える夏草。

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