鉄道員は言った、「ジェトンを買う必要はありませんよ」
彼は私たちのために、改札入口を開けて通してくれた。
今になって思うことは、あのときすぐに息子に「心配しないでいいよ、お札の一枚ぐらいどうってことないから。また買えばいいじゃないの」とどうして言ってやれなかったのだろう。
電車に乗ってから息子の精神状態は回復した。鉄道員が私たちの面倒を見てくれたからという事もあるし、車内が涼しいということもあるだろうか。
帰国した現在、息子が話してくれたのは、「今だから言うけどさ、あの紙幣は100リラだったんだよ」
100リラと言えば5千円に当たる、はした金ではない。これも私が困るのが面白くてするいつもの息子の作り話だろうか?
今度私たちが乗ったのは、トプカプから出ているトプカプ-エディルネ線(Topkapı-Edirne)だった。
この路線は東ローマ時代の城壁に沿って走っている。これは皇帝テオドシウス(Theodosius)が西暦413年に建造したものだ。
城壁や線路の近くには高層建物は何もない。ただ農地、野っぱら、墓地があるだけだ。城壁はマルマラ海から金角湾までの全長6キロメートルあまりだ。
エディルネに着くと息子が降りるぞと言った。
エディルネ駅はまるで地下鉄の駅のようだった。たぶん地上にホームを建設すると地上の古代遺跡を壊してしまうことになるからだろう。
電車を降りると私たちは城壁のそばの道路で立ち止まった。
目的地はカーリエ博物館だ。たぶん城壁の東にあるだろう。
眼前の城壁は良好に保存されているところもあれば、半壊してしまっているところもある。
この城壁は内壁(高さ13メートル、巾5メートル、合わせて95の見張り塔がある)と外壁(高さ8メートル、巾2メートル)とでできている。
建造されて後、7、8世紀にはペルシア、アラブ、9世紀にはブルガリア、ロシアに攻められたが落ちることはなかった。しかし15世紀のオスマントルコによって外壁の大部分は破壊された。
しかし内壁の塔は現代の都市のビルとかわらず威圧感がある。
内壁の断裂した部分を通って、私たちは市街地に入った。
断裂した一方の端は巨大な古代の建物になっているようだ。そのそばに三角形の公園があった。角の方に商店があった。
私たちはミネラルウォーターを買った。
公園の西側、道路を挟んだ所には樹林があった。
私たちは階段を登った。
林に入って気がついた、ここは巨大な寺院の境内だ。間違ったなと思って急いで階段を下りて東に向かう。
ガイドブックに従って、二、三階建ての建物の通りを歩いていると、小さな公園を見つけた。公園には5、6才ぐらいのショートパンツを穿いたトルコ人の女の子が一人いた。
私が、「カーリエ?」と彼女に声をかけると、その子は三輪車をこいで道路にいる私たちの目の前までやって来た。
茶色の髪で、大きな目をしていた。彼女は私たちに方角を教えようと、人差し指で一つの方向を指さした。
彼女は慣れた様子だった。たぶん毎日毎日観光客に道を教えているのだろう。
そのあとで彼女は何か言った。
まるで、「わたし、今一人でここで遊んでるの。お友達を待っているのよ。だけど彼女来ないから、わたし迎えに行くわ。今すぐにね、さようなら!」とでも言っていたのか。
彼女の話す様子はまるで、社交上手なおしゃまさんのようだった。彼女は三輪車をこいで行ってしまった。三輪車のペダルの音が静かな住宅地に響き渡った。
私たちは百メートルぐらい歩き続けた。
今日拝観しようとしているカーリエ博物館というのは東ローマ帝国時代の古い修道院で、オスマン帝国時代にはキリスト教モザイク画が漆喰(しっくい)で塗り固められてイスラム教寺院に改装されていたが、今は漆喰がはがされて、ビザンチン美術のモザイク画やフレスコ画を見ることができる。
石造りの建物の門に着いた。
門は樹木の日陰になっていた。
門にはアラビア文字の表示板があった。カーリエ博物館と書かれているのだろう。
しかし門は閉まっていて、鉄柵の奥の庭には人影はない。
門のそばには一本の旗竿が立っていて、上には白い眉のような月と、白い星が一つの赤い旗が風にはためいていた。トルコの国立の建物は国旗を掲揚している。
この石造りの建物がカーリエ博物館だろう。