今日は8月4日、水曜日。
私たちは8月6日の夜の飛行機で帰国する。だから丸々3日の間、イスタンブールを観光する時間がある。
まだ見ていない重要な観光スポットはオスマントルコ時代の故宮にあたるトプカプ(Topkapı)宮殿、旧市街地のグランドバザール(Grand Bazaar)、エジプシャンバザール(Egyptian Bazaar)、いろいろなイスラム教寺院、それからマルマラ海と黒海をつなぐボスポラス海峡の観光船周遊。
しかし宮殿はとても近いので見ようと思えばいつでも行ける。
旧市街地の観光と、観光船の周遊は丸々一日必要だ。
今、出発してももう遅い。
私たちは昨晩アジアサイドの観光からイスタンブールに帰ったところだ。
私は旅の途中で細菌感染を起こして、入院した。だから今日は休んだ方がいい。観光に出たとしても、こんなに暑い天気だから、のんびりと見て回った方がいい。
今日の午前中は、私一人がホテルの近くの商店にパンを買いに出た以外は、部屋のベッドの上で、のんびりと過ごした。
しかし正午を過ぎると、私たちは幾分退屈になってきた。私は息子に午後の計画を立てさせた。
「私は旧市街地の西の方にあるテオドシウス(Theodosius)の城壁とカーリエ博物館なんかが見たいんだけど。ガイドブックを見ても、乗り換えるところが分からないのよね」
息子は一週間前に路面電車に乗って軍事博物館に行っている。だから心配していないようすである。息子はガイドブックを見ている。こんなことは珍しいことだ。
私たちは午後の2時頃出発した。
見慣れたローマ競技場ヒポドローム(三本の記念碑のある公園)を通りぬけて、2百メートル歩き、路面電車のスルタンアフメット(Sultanahmet)駅に着く。
今日は西に向かう電車に乗る。
外は大変暑いが、私たちは空調の効いた車内から外を見た。
たくさんの寺院の屋根は皆ドームの形だ。ここは世界遺産の地域なのだ。
息子はトプカプ門駅に着くと、降りるぞと言った。
私たちは電車をおりて、ほかの乗客といっしょにホームを歩いて外に出た。
辺りはまるで広い公園のようだった。
建物はなく、芝生にたくさんの木が植えられていた。
十数人の乗客はだんだんと歩き去って行った。すぐに私たち二人が取り残された。
私たちはほかの電車の駅の入口と自動券売機を見つけた。
入口に小さな屋根の建物があるだけで、その建物もたった一人が入れるだけの大きさしかない。駅とホームには屋根がない。
私は入口の近くに立って、息子がジェトン(JETON)〈磁気式のプラスチックのコイン〉を買うのを待っていた。
私はあまりに暑いし、疲れているし、体が回復していなかった。
息子が戻ってきて、破れてしまって半分残った紙幣を見せて、「自販機に食われちまったよ! こんなに高い紙幣なのにさ‥‥‥」と言った。
息子の顔はもうちょっとで泣きそうな表情だった。
息子の取り出した紙幣はもとから今にも破れそうな状態だったのだ。
「僕がお札を入口に入れるとね、最初は入っていかなかったんだ。だけど色々試している内に、突然噛みついたんだよ!」
私は息子がこんな些細なことで泣き出すのがうっとうしくて、怒りがこみ上げてきた。
私は息子の手の中から破れた紙幣を取り上げて、すぐに地面に投げ捨てた。
怒りを込めて、「こんなものこうしてくれる!」と思わず言い放っていた。
地面に落ちた紙幣は、風に吹き飛ばされて、息子はワーとひと声あげると腰をかがめて紙幣を追いかけて、ようやく拾い上げた。
紙幣を握りしめて息子は、私に向かって言った。
「僕たちの持っているお金は多くはないんだよ。これだって大切なんだ!」
私は目眩(めまい)がした。自分が情けなくなった。
この時、鉄道員が見にやって来た。多分ビックリしたのだろう、すぐにやって来たので、私は自販機で起こった問題について何とか英語で説明した。