昨日の晩はあんなに静かだった病院の中がザワザワしてきた。
壁の向こうの病室の声が聞こえてくる。市街地の道路を行き交う車の音。
私たちの病室は明るかった。
私の気持ちも明るくなってきた。
息子が、私が寝ているときに昨晩のドクターが部屋に来て、退院していいよと言ったという。
私は「どうして英語のできないあんたがドクターの言った事が分かったの?」と聞いた。
息子は指でOKのサインを作って見せ、「先生は笑いながら、こういう風にジェスチャーしたんだよ」
それなら退院の手続きをして、お金を払わねばなるまい。
白い上着とズボンを穿いた、一人の看護婦が朝食を持ってきた。
彼女はまず息子にトレーを渡してから、私のベッドの頭の所のテーブルにもう一つトレーを置いた。
それを見て、もう食べてもいいのと自問した。
トレーの上には紅茶、皮をむいたキュウリ、トマト、山羊のチーズとパンが載っていた。私はたくさんは食べたくなかったので、紅茶を飲み、パンを食べた。
昨日の晩は私は熱を出し、下痢をした。しかし頭痛がないのが本当に不思議だ。多分ドクターが輸液をしてくれたおかげだろう。
息子は食べ終わると電子辞書で遊び始めた。
息子の寝ているソファーの色はトマトの色だった。細長いクッションの色は黄緑色だ。
壁の色も似たような黄緑色だ。外に通じるドアは黄色だった。壁やドアの色はエーゲ海地域の伝統カラーだ。
しかしソファーはどうしてこんなに鮮やかな色なのだろうか?
と突然、開け放たれたドアから子供のヒューヒューゼーゼーと喘ぐ声が聞こえてきた。
私はこの部屋が小児科の病棟だと分かった。病室の家具は子どもを喜ばせるためなのだろう。だから、ソファーはトマト、クッションはサヤインゲンなのだ。
よその家の子供の咳き込む声を聞いていると、私たちが観光に来ているトルコにも昨日、今日、明日と自分の子供の看病をする親たちがいるのだと思った。
私は携帯を引き寄せて、イスタンブールの旅行保険の支店に電話した。
支店の職員は日本人の女の人だった。私は安心した。
パリ支店の担当者に連絡を取ってくれるというので、ベッドの上でパリからの電話を待った。
パリの職員も日本女性だった。
「自分のクレジットカードでお支払いなさいますか、それとも、私たちの会社が直接、病院に支払うのを希望されますか? ただ病院に払う方法だと、手続きが要りますが・・・・」
「私は今、病院のベッドに寝ていて、手続きはできません。だから、自分でクレジットカードで払います。帰国したら手続きします」
しかし、担当者は、「手続きは簡単です。私たち保険会社が病院と話をしますので、病院の電話番号を教えて下さい」と言った。
まさにその時、看護婦が病室に入ってきた。そこで、彼女に病院の電話番号をたずねると、彼女は私の言葉を聞くなり出て行った。
すぐに中年男性の職員が部屋にやって来て、私に病院の小冊子を渡してくれた。
私は携帯でパリに電話を掛け、担当の女性に病院の電話番号を伝えると、彼女は私はもうここで何かする必要はないと言ってくれた。
こんな調子で何やら忙しくしていると、昼ご飯が来た。
朝ご飯と同じメニューだ。時間はたちどころに正午になった。
突然、きれいなスカートを穿いた若い女性事務員がベッドのそばにやって来て、海外旅行保険の冊子についている治療費請求書の用紙を借りていった。コピーするという。
彼女は満面の笑みを浮かべて、私の枕元のテーブルから冊子をさがし出して言った、「ありました!ありました!」
そしてまた、「保険会社が病院に電話してきましたので、私たちがあなたのために手続きしますから、心配しないで下さい!」と言った。