私たちのバスは植物の生えていない乾燥した丘陵のそばの駐車場に停まった。運転手は停車場所が分からないのか、何回か移動したが、とうとう私たちは車を下りた。
ペルガモン王国の遺跡にいたときは、晴れていたが、そんなにつらい暑さには感じなかった。というのは、はっきりと気が付いていたわけではないが、あの丘の上には風が吹いていた。
しかし、ここは日本の夏と同じぐらい暑い。空には雲もない。
ペルガモンの丘はここから2キロ離れている。斜面の階段式劇場と神殿の建物がはっきりと見えた。というのは、視線を遮るような、高い建て物が、一棟すらないからだ。
今度私たちが見るのは、紀元前4世紀、活動を開始した病院の遺跡だ。医者というのはギリシアから招聘(しょうへい)された医療を司(つかさど)る神官たちである。
私たちは野草の生い茂る草原をガイドの後から歩いて行った。草原には途中で折れたり、土台となっていた石の円盤だけが残る、大理石の円柱の列が並んでいた。円柱は古代の列柱道路の遺跡だ。
古代の病院の入口にやって来た。
私たちの右側が北の方角で、ペルガモンの丘が、左側は南に当たり松並木がある。木の下には何軒かの農産物を売る露天商があった。
スカーフをかぶっていない茶色の髪の女の人が、売り声を上げている。私はひと目見て、それが蜂蜜だと分かったが、ガラス瓶に入った蜂蜜を飛行機に持ち込むのは、適切とは思われない。
百メーターか2百メーターか、歩いたところで、ガイドがここを見なさいと、折れた大理石の円柱の根元を示した。
表面に彫刻されているのは、数匹の蛇の文様である。この蛇の柱は病院の入口だ。蛇はギリシア文化では医療のシンボルなのだ。
ここでガイドが指し示したのは、小規模な劇場だった。
私たちは自由時間をもらった。特に劇場が好きなので、たちどころに近づいて、写真を撮った。しかし、とても疲れていたので、階段席を登ろうとは思わなかった。
ガイドブックによると、この劇場は3千5百人を収容できたという。古代、病院には長方形の回廊があった。現在、回廊跡には何十もの折れた大理石の柱が立っている。
庭には一本の大きなイチジクの木が立っていた。私は写真を撮った後、やることがなく、庭の南の方の乾燥した野原を眺めた。
すると何頭かの牛が遠くの木の下で休んでいるのが見えた。そのあとで、庭のイチジクの木の下に戻ってきた。
その時ちょうど木の下で休んでいたガイドが、木になっているイチジクを私と息子に手で指し示した。ガイドは私に自分の手で使って実をもいで、皮をむいて手渡してくれた。
私は衛生的でないかもと思った。カッパドキアのバスステーションのサクランボと同様に彼の目の前で食べなければならないと思ったので、口に入れた。ガイドはつぎに息子にもイチジクをくれた。
ほかの観光客は、自分で実をもいで食べていた。日本の公園では、果実を取るのは禁止されている。しかし、トルコではこういうことに対して、寛容らしい。
食べ終わると、ガイドは私たちと、ほかの3人連れの家族を案内した。ひと組の夫婦と、16才ぐらいの娘の3人だ。彼らの皮膚の色は褐色なので、エジプトから来たのだろうと思った。
私たちは石で囲われた低い場所の泉にやって来た。泉の穴は大人ひとりが入れる大きさだ。息子に飲んだらダメだよと言った。
私は手を洗った後で、歴史のあるこの神聖な泉の水を口に含んだ、しかし飲みはしなかった。穴の壁にはアオコがついていて、衛生的でないと思った。ガイドブックは述べている、ギリシアの古代文明を崇拝している欧米人は、喜んでこの泉の水を飲むのだと。
その後(あと)で、ガイドは私たち観光客を、地下の廊下に連れて行った。古代には患者は入口で検査を受けて、神官が治せると判断したときに限って、患者はこの地下道を通って、病院の治療棟に運び込まれた。
地下道の長さは82メートル、天井には15個の窓が開いている。この病院は、院内で患者が亡くなることを、絶対に許さなかった。患者は入院を許されて地下道を搬送されるときにはすでに安心しきっている。
ガイドは神官の話す様子を再現して聞かせてくれた。
その声は地下道で反響して、まるで古代の神官が患者に催眠術を掛けているようだった。ガイドの声は良く徹って堂々としていたので、私たちはまるで古代にいるかのような神聖な気分になった。
補足:アスクレイピオンの表記は Asklepion、Asclepion、Asklepieion のいずれでも可。