ガイドとはぐれてから、私たちは、劇場の上の、昔はアテナの神殿だった遺跡の平坦なところに立っていた。
 どちらに行けば良いのか分からなかった。
 私たちはよその団体のトルコ人ガイドに出くわした。
 そこで遠慮せずに聞いた。「すみません、私たちはガイドとはぐれてしまったんです。ガイドは神殿と劇場と病院を見に行くと言ってました。病院がどこにあるのか知っていますか?」
 このトルコ人の若いガイドは親切に教えてくれた、「病院〈Hospital〉はここにはありません。ほかの所にあります。だからあなた方は駐車場に返った方がいいんじゃないでしょうか?」
 そこで私たち二人は戻り始めた。
   
 入口の近くまで来たときに、坂道を登って私たちを捜しに来たガイドに出くわした。ガイドとはぐれてから、私たちは劇場を登っては下り、登っては下りして、15分ぐらいは捜しまわった。
 ガイドはあまりにも疲れていたのだろう、その顔には、私たちを見つけたという喜びの感情が見て取れなかった。
 ただ私たちを凝視する二つの目が大きく見開かれていた。
 彼の顔には汗が浮かんでおり、こんなに暑い日にはぐれた観光客を捜しに坂を登ってくるのはさぞつらかったに違いない。
 私はすぐに「ゴメンナサイ」と言うべきであった。だが私はどうしてはぐれてしまったかについて先に弁解しようとした。
   
 私は開口一番、「Sister started singing. (修道女が歌を歌い出して、) 」と言った。ガイドは何も言わずに、私たちと一緒に坂道を下り始めた。
 この日本人の女性は馬鹿じゃないかと思っただろう。わたしは彼に謝る機会を逸してしまった。今になっても、あのとき私たちはどうしてガイドとはぐれたのか分からないでいる。
 あんな大勢の修道女をかき分けて、平坦地に戻ったのだろうか?
 それとも劇場の途中の坂(今ガイドブックで見つけた)を下っていったのだろうか?
 私たち二人が気ままにのんびりと下りてきたと思ったかもしれない。それが故意にやったことではないにしても、ガイドに会ったときに私が嬉しそうでなく、謝りもしないので、心の中では怒っていただろう。
 あるいは、彼に言わせれば、このような観光客の態度はよくあることかもしれない。彼は怒るにも値しないと感じていたのかもしれない。
 私は修道女がたくさんいて、劇場の出口が通れずはぐれたのだ、わざとではないと弁解したかった。だが話を続けることができなかった。立ち話ができなかったからである。私と息子が慌てふためいた様子もなく歩いているのを見て、ガイドはホントの所、なんと思ったのだろうか?
 彼が腹を立てた様子を見せないでくれて、ありがたいと思っている。
   
 三人で歩いて坂を下りていくと、入口のそばでガイドブックを売っている。
 ガイドはすぐに、私が本を買いたがっていると察した。
 ガイドは窓口の係員に、この観光客に日本語版を一冊くれと言って、代わりに受け取って、渡してくれた。
 しかしホントの所を言うと、私は英語版を買いたかったのだ。しかし、いまここで日本語版を買わないと、まるで好意を無にするようだ。そこで私は英語版も一冊欲しいと言った。
 私が財布からユーロの紙幣を出すと、ガイドが私の代わりに係員に何か言った。そうして私は二冊の本を手に入れた。
 英語を勉強するためには、英語版を読む。しかし日本語版を読んだ方が早い。帰国後トルコ紀行を書くときは便利だ。
   
 私は昔からドイツのベルリンにペルガモン博物館があると知っていた。
 トルコのペルガモン遺跡を見たときに、あれあれと疑問がわいた。どうして別の国に同じ名前があるのだろう?
 しかし、ガイドブックを読んで謎は解けた。
 アテナ(Athena)神殿の遺跡の南方の平坦地に紀元前170年代に、大理石の祭壇が建設された。これが1878年にドイツ調査隊によって発掘されて、ベルリンに運ばれた。
 現在、ベルリンのペルガモン博物館と呼ばれるところに展示されている。復元された腰壁には大理石の彫刻があり、そのテーマはオリンポスの神々と巨人族の戦いだ。
 たぶんペルガモン遺跡から出土した最も価値のある文化財だろう。人類の歴史上最も価値のある芸術作品の一つと言えるのではなかろうか。
 残念なのはそれがいま、元あった場所にないということだろう。

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