海辺のホテルで私たちはしっかり寝た。クシャダス滞在二日目の8月1日の観光目的地はギリシア時代からローマ時代まで繁栄した都市、ベルガマ(Bergama)である。
私はこの都市遺跡が山の上にあり、山の斜面を利用した劇場とギリシア時代の病院があることを知っていた。
そのほかにアレクサンダー大帝の家臣の建てたペルガモン(Pergamum)
王国の最後の王アッタロス(Attalus)3世は、ローマ帝国と戦う気力がなく、自分の王国をローマに譲ってしまったことも。
日本の団体旅行では、大概この遺跡の観光はとばしてしまう。だから、私は今日の旅に期待していた。
私と息子はホテルに迎えに来た小型バスに乗った。今日のガイドは昨日と同じ男性で、貫禄のある人だ。観光客の人数は10人そこそこだ。
バスが山腹の道路を高速で走っているとき、小さな丘の上に石造りの城砦(じょうさい)を見つけた。またたくさんの人家がある都市のそばを通った。
ガイドはこの都市は有名な何々だと私たちに説明してくれたのだが、私には聞き取れなかった。
車は平坦な場所にやって来た。道路の両側はずっと農地だ。
バスは鉄道と平行に走った。
ちょうどその時、長さが数両の列車が目に入った。白い車体に赤いドア、車両の屋根部分は青色の、きれいな列車だった。
列車は駅に停まっているところだった。
すぐにバスは列車を追い越した。地図で見るとベルガマはクシャダスと2百キロ離れている。しかし外国で車に乗っている感覚は日本にいるときと違う。要した時間は短く思われる。
バスは小さい丘のそばにある農村にやって来た。
2階建ての絨毯を売る店のそばで、ガイドは私たちを車から降ろした。
商店の反対側には、えんじ色の石で造られた大きな建物があった。
アーチ型の窓と、たくさんの正方形の窓がある。
ガイドは建物の由緒を話してくれたが、私は写真を撮るのに夢中で、聞いてもわからなかった。
帰国後調べてみると、この建物は2世紀のローマ時代にエジプトのセラピス(Serapis)神とイシス(Isis)神を祭った神殿だった。
アナトリア地方で最初のブロック建築で、赤い宮殿(The red court 〈Temple of Serapis〉あるいは【Kızıl Avlu 】(クズルアウル))と呼ぶ。この神殿はとても大きいのだが、私たちは時間がなくて、中を観光できず、すぐにバスに乗った。
バスが丘の上のベルガマ遺跡に続く坂道を走って上がっていくとき、ガイドは良く徹る大きな声で遺跡の来歴を説明した。
話の中にアレキサンダー大帝が出て来た。
大帝の将軍リシマコス(Lisimachus)、リシマコスの太監(去勢された官僚)のフィレタイロス(Philetairos)、王朝の最後の王アッタロス3世の名前が出て来た。これらの名前は私にはよく分からなかった。そこで私は息子に通訳してやらなかった。
バスは遺跡の入り口に着いた。
ガイドは私たちのチケットを買って、私たちは一緒に改札を通った。
遺跡に続く坂道は舗装されていた。しかし30メートルも行くと、もう道はない。
その時すでに私たちは、ペルガモンの古代都市の遺跡の上に立っているのだった。
乾燥した地面の上にあるものは、発掘された石であったり、夏の花であったりした。
まず最初にガイドが説明してくれたのが、この都市の水道の設備だ。
古代都市にも水道があったと教えてくれた。
私は息子に通訳したが、ガイドの説明は、水道水はここから42キロも離れたピンドスの山(Pindos)から来るということと、古代人は水道橋を使ったということだったが、と同時にあっちの方に水道橋が見えると言ったのだが、私はその意味が分からなかった。
ガイドが彼の指で東北の方角の遠い山並を指し示したので、私たちは彼の指し示す風景をただ見ていた。だが水道橋には気がつかなかった。今思い出しても惜しいことをしたなあ!