プールと劇場の間にはたくさんの遺跡があった。
〈 発掘によって明らかになった建築物の履歴 〉
① Temple Nymphaeum (妖精の神殿、あるいは泉水殿)
とても大きな池のあるU字型の神殿。建物は2階建て。何十本もの円柱で装飾された外壁がある。
外壁の上には5つの噴水があった。池の長さは50メートル、巾は23メートルぐらい。この建物の残存部分は北にある。
② Temple of Apollo ( アポロ神殿 )
現在でも2列の円柱が残っている。神殿の長さは70メートル、南北と西の3面には大理石の柱廊があった。Neronian地震の後の西暦1世紀に再建された。
アポロ神殿の近くにはその他のギリシャの神々を祭った神殿がある。
アルテミス、レト、ハデスの3人の神様たちである。(Artemis, Leto, Hades)これらの神殿は3世紀に建築された。
ここから何人かの皇帝の彫像と巫女(みこ)の彫像、たくさんのランプ、それから神々に捧げる葡萄酒の杯(さかずき)が考古学者によって発掘されている。
その後も二つの大理石のテーブルが発掘された。
それらのものは神より啓示を受ける事ができると主張する宗教団、Apollo Kareios あるいはKarios の存在を示すものである。神殿の脇には有毒ガスを噴出する自然坑があった。
この毒ガスを吸った神官は、神の啓示を受けることができたのである。
( 詳しくは③を参照)
③ Plutonion (プルトニオン)
ローマの初代皇帝アウグスツスの頃、ギリシアの地理学者ストラボンはプルトニオンの神事について次のように記録している。
───『毒ガスの出る穴は山地の、とある地方都市の、眉毛の形をした所の下にあり。』
ある人が一人でこの小さな穴に、ようやくのことで入ることができた。
一匹の去勢した雄牛を生け贄に捧げようとしたのである。雄牛は毒ガスを吸って死んでしまった。
またガロイと呼ばれる人は、プルトニオンのガスを吸っても死ななかった唯一の人であった。─────
学者のストラボンは、自身も試しに生きた雀をプルトニオンに投げ込んでみると、雀はすぐに死んでしまった。
ストラボンの記録はプルトニオンについて紹介しているが、それ以後プルトニオンについて誰も知らないのである。
しかし、1962年から1965年のイタリア調査班は、プルトニオンの存在を証明するのに成功したのである。
現在、私たちはプルトニオンの眉の形をしたアーチ型の門を見ることができるのだ。周囲は石壁で、今でも穴からは地下水の流れる音が聞こえてくる。ただし、毒ガスが危険なので、今では穴は塞がれている。
④ House of the Ionic Capitals
(古代ギリシアのイオニア式の列柱のある建造物 )
現在も7、8列の2.95メートルの高さの列柱がある。最初に建造されたのは2世紀で、4世紀の地震の後、古代ギリシア好きのローマ貴族がギリシア方式で自分の邸宅を建てた。
そのあと7世紀前半の地震でこの貴族の邸宅は完全に崩壊した。
どうしてそういう経緯がわかるのか?
というのは大量の残骸の中から6世紀の陶器とビザンティン帝国のユスティニアヌスのコインが出土したからである。
ユスティニアヌスはビザンティンのキリスト教会、アヤソフィアを建てた6世紀の皇帝だ。