私と息子はそれぞれに自分の日傘をさして、話をすることもなく、プールの北の道を歩いていた。
山の中腹にある劇場までの道は舗装されておらず、地面がむき出しになっている。
50メートルほど歩いて行くと、一つの石造りの建物のそばに通りがかった。私たちの前を水着を着た男女が2、3人ぱらぱらと劇場の最下段の建物に向かって歩いて行く。
ヒエラポリスには二つの劇場があった。二つともギリシアの伝統である山腹を利用して観客席を作るという建築様式で造られている。
一つは先ほど周遊車で向かった西の方のずっと山の中にある。もう一つが私たちが向かっている劇場だ。
プールのそばのこの劇場は発掘の後に再建された物だ。この劇場の最下部分は舞台で、舞台の背後に3階建ての建物がある。
私たちのいるところから見ると、山の上から下に向かって何十層もの階段式観客席と、一番下の舞台裏の建築物が見える。
私たちはほかの観光客のあとから劇場の最下部に向かって歩いていく。
路上には何なのかわからないが、半壊した建物や、倒れている石材や円柱、また現在でも依然として完全な形で立っている円柱群を目にした。
石材の間のむき出しの地面には、名前のわからない野の花が咲いている。建物や石材は、陽光の下で、この上なく真っ白に見えた。
2百メートルほどの道を歩いて行って、とうとう劇場の下についた。
しかし、改築した建物は危険なのだろう、立ち入り禁止になっていた。そのためもと来たところまで引き返さねばならなかった。
そして、坂道を上って劇場の階段式観客席の一番上まで行くことにした。
この道には石材もなければ興味を持つようなものは何もなかった。
気温はおおむね40度。私たちの足はのろのろと坂道に沿って前へと進んでいく。
劇場の観客席はあんなに近くに見える。
しかし遠くにある巨大な建物というのは、錯覚を起こさせるものだ。特に直径が百メートルを超える劇場においては!
現在、地図で調べてみると3百メーターは離れている。
辺りに何もない坂道の上でわたしは疲労困憊、目眩がした。
それに反して息子の方は忍耐強く坂道を登っていく。息子は特別にローマ時代の劇場が好きなのである。
古代遺跡の建物というのは様々だが、収容人数一万を超える野外劇場の威容に至っては、驚くばかりである。
ローマ式劇場を見るために、私は特別にここトルコ、ローマ帝国の小アジア軍管区(Asia Minor)のなかでも最大級の都市ヒエラポリスにやって来たのだ。(というのも大げさで、旅行社が良い観光スポットを選んでくれたおかげです。)
私たちはとうとう山の中腹にある劇場の最高部に到達した。保安員が小屋の中で一人、観光客を監視していた。
階段式観客席の上から、劇場の舞台を見下ろした。
舞台には古代の威厳があり、後方の建物の上には何体かの彫像が立っている。
遠くのプールのレストハウスや考古学博物館を見ることができる。そして、この丘をもっと下りていったところのパムッカレの農地の茫々(ぼうぼう)とした風景をも目にすることができる。
私たちは階段の上の方に立ち、階段を下りようとはしなかった。
階段の下の舞台などに興味はあったが、もしもこの階段を下りきってしまったら、下の建物は通り抜け禁止なので、劇場を出ようとするとまたこの下段22段、上段20段の階段を登ってこなければならない。空気はこんなに熱い。もしも下りたら、戻ってくることはできまい。
私たちのほかには、上半身裸の若い3人の男性が、私たちと同じように感動した様子で立ちつくして、足もとの劇場を見下ろしている。
私はこの都市を観光したときには、遺跡について何も知らなかった。しかし、ホテルに戻ったとき南口の商店で買った一冊の本 (Hierapolis of Phrygia 〈PAMUKKALE〉Francesco D'andria )を読んでみた。
今ではようやくプールから劇場までの路傍の遺跡の内容について知ることができた。
それらの遺跡は発掘はされたが、修復されていない。しかし考古学的にとても面白いものだ。そこでつぎの章で、少し紹介させてもらおう。