私たちの乗ったミニバスは百キロを超える猛スピードで道路を疾走した。ほかには一台の車も走っていなかった。
道路の周辺には一軒の家もない。ただ乾燥した収穫後の畑が広がっているだけだ。
太陽が昇ってきた。どんどん明るくなって気温も上昇していく。
車は空き地に止まった。何十メートルか離れたところに車庫と駐車場が見えた。
二人のスタッフは私たち二人を車内に置き去りにして、どこかへ行ってしまった。
車の空調は止めてあり、蒸し蒸しする。私たちは苦しかったので話もせずに、忍耐強く彼らの帰りを待った。
まず車に上ってきた一人目は、茶色の髪の毛の中年女性。
私は「Good morning ! 」と声をかけた。彼女は私に目を向けたが、顔には疲労の様子があった。
やっとのことで、「Good morning !」と言ったように見えた。
5分もしないうちに、旅行社のスタッフとほかの旅行者たちがやって来た。
迎えに行ったのはあの中年女性の夫と娘だった。妻は白人だが、夫と娘は皮膚の色は褐色だ。彼らはたぶんイスラム国家、たとえばエジプトのような北アフリカの国のようだった。
というのは彼らの服装は気楽な格好で、夫と娘は野球帽をかぶっていたからだ。
車は私たちを農村に連れて行った。道路に面して何軒かの二階建てのホテルがある。建物と建物のあいだには果樹の林がある。
私たちは自分でスーツケースを持つと、誰も泳いでいる人のいないプールのそばを通って、それから建物の外側の階段を登っていった。ベランダのような回廊を歩いて、とうとう部屋に着いた。
部屋にはベッドが五つあった。
ベッドカバーの黄色や黄緑色やオレンジ色は、見る人に地中海の果物を思い起こさせる明るい柔らかな色合いだ。たぶんホテルが子供連れの観光客を迎えることを狙ってのことだろう。
私たちは真っ先にシャワーを浴びた。しかし、シャワーの温水の蛇口が壊れている。回すときに押しつけなければならない。
蛇口以外に部屋の中で壊れている物はない。私たちは午前中このホテルで休むのだ。
7時半になると、私たちは別棟の二階にある食堂にでかけた。ホテルが泊まり客に用意した料理は非常に簡素なものだった。
黒と緑のオリーブの実、白い山羊のチーズ、パンとトマト、キュウリと飲み物である。
私がセルフサービスのテーブルの前に立って、お湯の蛇口から、お湯を出そうとしたところ、予想に反して出て来たのは熱々のコーヒーだった。そのせいでカップの中のティーバッグはコーヒーに沈んでしまった。
私は思わず、「えっ!」と声を上げた。
この時私の後ろに立っていた日本の若い男性が、私の困った様子を見て言った。「あらあ!」
そこで私は、私の泊まっているイスタンブールのホテルでは右側がコーヒーで、左側がお湯だと言った。このホテルもイスタンブールと同じだと。
彼は、「そうなんですか」と言った。
彼の態度からすると、日本人と話がしたいようだった。彼は一人だった。
しかしあんまり疲れていたので、人と話をする気になれなかった。私は息子といっしょに開け放たれた窓辺に座って、朝ご飯を食べた。
彼は一人でここに来た旅行者で、人恋しかったのだろうに、すまない気もした。
テーブルの上にハエが飛んできた。