小川が右に蛇行していくところで、前を行く隊列は私の視界から消えてしまった。
まるで私は黒々とした岩の崖に囲まれて、夏の太陽に照らされた鮮やかな緑の林と、水晶のようにきらきら輝く小川の世界にいるかのようだった。
私は少しも焦らずに、写真を撮ったり、このあたりの独特の風景を眺めて味わったりした。
しかし隊列に追いつかなければならない。
私は列のしっぽがギリギリ目に入る最も遅い速度を保った。
あるところでは両岸の樹木がうっそうと茂り、木陰を流れる小川の水面は静まりかえっていたので、清らかな水の中に水草がゆらゆらと動いているのが見えた。
木陰の場所を通り過ぎていくと、目の前に広がったのは、小川の右側が森林で、左側が荒れ野の風景だった。
左側の絶壁の表面にはたくさんの洞窟教会の窓があった。
絶壁と小川の間の枯れ草の傾斜地には1、2メートルはあろうかという石がたくさん転がっていた。
今年の春、雨が降ったときには野草が花を咲かせていただろう。
しかし、今この強烈な陽光の下でほとんど枯れ果てている。
私はこの渓谷でわずかに咲き遅れの何種類かの花を見つけた。
とりわけ、残念だったのはヒナゲシの花だ。
こんなに長い小川のほとりで、ただ数本の赤いヒナゲシの花を見かけただけだった。
もしも初夏にここに来たなら盛りの頃のたくさんのヒナゲシの花を見ることができたに違いない。
小川のほとりの道の大部分は平坦だったが、ついに私の足は重たくなった。私が隊列に追いついたときには、ちょうどトレッキングが終わりに近づいている頃だった。
観光客は一カ所にとどまっていた。
ガイドの妹が傍らの草むらを指さして、私に何か言った。
彼女の話したのは英語ではなかったが、草むらの中にトウモロコシ畑をみつけた。
数本植わっているだけで、子ヤギもいた。
たぶん彼女が言いたかったのは、農民がこんな所でも耕作し、山羊を飼っているということだったろう。
小川のほとりを歩いているときでも、枝を剪定されたオリーブの木を見かけた。
私たちのトレッキングは終わった。そして小川のほとりの木陰にある野外レストランにたどり着いた。
私たち観光客は、トルコの織物をかけたテーブルに座った。
私と息子はテーブルの端に席を取り、私は持参のミネラルウォーターのボトルをテーブルに立てた。
軍曹は私のそばに立って、説明を始めた。
彼は私たちのトレッキングが終わったと言い、午後のスケジュールについて説明した。
彼は手を伸ばして私のミネラルウォーターのキャップの部分を手のひらの内側の手首に近いところで押さえた。
そして話ながら、立っている状態のボトルに体重を少しかけてぐいぐいと押さえ始めた。
ガイドはこの仕事に不慣れなようで、私たち観光客に話をする間、緊張のあまり無意識のうちにペットボトルで遊んでしまったのだろう。
私は瓶のふたのところが汚れて口がつけられないなと思った。
しかし、愉快でもあった。
なぜかというと、こんなに格好いい男の人でも、英語で話すときにはとても緊張しているんだと分かったからである。
彼はたぶん新米で、大学院生がアルバイトにでも来ているのだろうか?