最後に我々のグループは地下都市の十字型の部屋にたどり着いた。
この空間は地下都市の住民の重要なキリスト教の礼拝堂なのだった。
現在は何の装飾も残されていない。部屋の岩盤むきだしの床の形でここが礼拝堂だったと知ることができるのだ。
ここまでたどり着く経路はわりと混雑していた。
ガイドの説明を聞くために、しばしば私たちは足を止めた。
しかし帰路は止まることもなく、速い速度でたくさんの部屋やトンネルを駆け抜けていった。
そのため、私はこの地下都市の規模が非常に大きなものであることが細部まで十分に理解できたのだ。
地上に戻ってくると、ガイドは自由時間をくれた。
そこで私は商店の外に置いてある商品を一人で見たが、だいぶ疲れていて、買いたいものがあるかどうか探してみる気にならなかった。
その時、息子がガイドとガイドの妹とパラソルの下のテーブルについているのを見つけた。
英会話の不得意な息子がガイドと何を話しているのだろうと疑問が湧いた。
今日の観光が始まるときにバスの中で、ガイドは今日は自分の妹を連れてきましたと言った。彼の仕事を手伝わせるためと、妹の中学校が夏休みだからだという。
私が彼らに近づいていくと、ガイドは気づいて手招きした。
そこで私は円卓の息子とガイドの間の席に座った。
私はここでは時間がゆっくりと流れているように感じた。
ガイドは椅子の肘掛けに両の手を乗せて深く腰掛けている。
そしてガイドは息子についてたずねたので、私は息子は高校二年生だと言った。
するとガイドは、「What is his dream in the future ? (彼は大きくなったら何になりたいと思っているの?) 」と尋ねた。
そこで私は息子に代わって言った。
「息子は小さいときはドクターになりたかったんです。でも学校の成績がさほど良くなくて、今はまだ決めていないんです」
ガイドは何も言わなかったが、彼の表情が語っていた。
「子供の頃の夢は叶う(かなう)とは限らないからね」
私は息子が小さいときのことを思い出していた。
私が原因不明の眼底出血を患ったとき、ある若い女医さんが言った、「あなたは案外早く失明するかもしれませんよ・・・・」
息子は私の目の病気について何も言わなかった。
7歳の時幼稚園の卒園式で、先生が子供たちに大きくなったら何になりますか?とたずねると、他の男の子たちが電車の運転手さん、女の子たちがケーキ屋さんとか看護婦さんと答えた。
その皆の前で、私の息子は答えたのである。
「僕はお医者さんになります」
それが私が息子の夢を知った初めてだった。
その原因不明の病気にかかってから現在に至るまで、私の目は健康な人と同じ視力を保っている。10年の歳月が流れた今、思い出した。幼いときに息子が私を気づかってくれたことを。
息子は今はこう言っている。
「僕は血を見るのが怖いな。だから医者にはなれないよ」
息子の今の将来の夢は科学者になること、あるいは企業の研究所で技術の開発研究をすることなのだ。
軍曹が私に次はトレッキングを始めるよと言ったので私はトイレに行った。
トイレは地下都市の入り口の建物の後ろにあった。
トイレの建物に入ると、中には大勢の日本人の女性の列ができていた。
彼女らはたぶん大型観光バスでやって来た団体旅行客だろう。
彼女らのほとんどが長ズボンとおとなしい色の長袖の服で、帽子をかぶっていた。大多数は私のように五十代から七十代そこそこの年齢だ。