発車時刻が迫っている。私は車に乗らなければならない。
 と、まばゆいビーズの縫い取りのレースに気がついた。布地は茶色で目立たないがビーズの刺繍(ししゅう)がすごくきれいだ。
   
 店員は私に近づいてきた。
 私はというと、他(ほか)のもう一枚に気がついたところだ。私は一枚買いたいと思ったけれど、こんなに急いでいるときに一枚だけ選ぶ事なんてできない。
 店員に日本円で買えるかとたずねると、一枚1万2千円だという。そこで私は、「2枚買ったら2万円にしてくれる?」と言った。
 店員はすぐに良いですよと言ったので、わたしは財布から日本の1万円札を取り出した。
 もう一人の会計係の店員に紙幣を渡すと、彼は初めて外国の珍しい物、疑わしい物を見たというような顔をした。
 たぶん、日本の団体旅行客はここには来ないのだろう。
   
 私たちがバスに戻ると、息子が私に言った、「あのガイドさんが教えてくれたんだけれど、ガイドさんの先祖は元々ギリシアに住んでいたのに、トルコとギリシアの住民交換でここカッパドキアに来たんだって」
 私は、「そうなの!」と言った。
 私は彼が私にエーゲ海の特産の青い目玉を紹介してくれたとき、彼の心の中には故郷を離れた先祖の哀愁があったのかなと思った。
 もともと、どうしてトルコ人がギリシアにいたのだろうか? 
   
 東ローマ帝国の時代に、ギリシアの一地方(テッサロニケ)のキリスト教徒の一派が反乱を起こした。
 東ローマ皇帝はトルコの傭兵を雇って反乱を平定した。
 そのころ、騎馬民族のトルコの王族は経済力がなく自らの軍隊の一部を傭兵としてギリシアに派遣したのだ。反乱の平定後もトルコの軍人は家族共々、ギリシアに居着いたのだった。
 帰国後、この青いガラス玉についてインターネットで調べると、これはギリシアだけでなくトルコを含む中東地域にももともとある物で、ギリシア発祥の物と思っていたのは間違いだった。
   
 私たちがバスに戻ると、バスは岩山もなく人家もない広大な乾燥した牧草地を飛ぶように走っていった。
 私はバスの中で次の観光の準備をした。
 心の中では、「4キロの道には、たぶん飲み物を売っている店もないだろうし、ミネラルウォーターを充分持って行かなけりゃならないし、日差しも強いから傘もいるよ。道のりも長いから、余計な物は持たずに行こう」と忙しい。
 私はリュックから物を出したりしまったりする。開け放たれた窓からは、乾いた熱い風が吹き込んでくる。

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