夜行バスで寝ているとき私の気にかかったのは、長袖を着ていない少年のことだけではなかった。
眠れないでいると、私の座席の後ろの方からカチカチ、カチカチという音が聞こえてくる。
なにか堅い物が別の物にぶつかって出る音のようだ。
私はすごく疲れていたので、その音が何の音か気にかかったが、調べるのはやめた。
バスはサービスステイションに着いたが、私は下りなかった。
トイレに行きたくなかったので。
バス内の通路を通って2、3人の乗客が降りたり乗ったりしていた。
あたりは暗く、薄ぼんやりとした明かりの下で発車を待っていると、後ろの座席から息が苦しくて喘(あえ)ぐような声が聞こえてきた。
後ろの席に座っていたのは、スカーフをかぶり長めの上着ともんぺを穿いた老婦人である。
彼女は何かをまさぐりながら、喘いでいる。
私はびっくりしてしまった。体の調子が悪いのかもしれない。
背もたれに手を掛けて様子をうかがう。
彼女は私に気がつくと、手を止めた。
二人の視線が合った。彼女の体の具合をたずねたかったが、トルコ語を話せないのを思い出した。
もしも私が彼女の体のことを気にしていると伝えられないとすると、私の考えていることを誤解されるかもしれない。
老婦人は私が彼女の喘ぎ声をうっとうしがっていると思ったのかもしれない。
彼女の視線は警戒の色を帯びた。
老婦人は私の顔をじいっと見たが、私は何も言えず、彼女は再び喘ぎ始めた。
バスが走り始めると、後ろの席では、喘ぎ声とカチカチという音が再び始まった。
私は彼女が具合が悪くて、苦しいのだろうと思った。
ブレスレットのような物を握りしめて、喘いでいるのだと。
しかし、どんな具合か尋ねようと思ったときの彼女の反応はそんなに苦しそうではなかった。
おかしいなあと思ったが、すぐに寝てしまった。
夜が明けて、バスがターミナルに着いたとき、この老婦人は健康上に何の問題もないかのように、下車していった。
イスラム教徒も仏教徒と同じように数珠を使うということは、トルコを訪れるまで想像もしなかった。
帰国後、ガイドブックでトルコの数珠の写真を見つけた。
宝石をつなげたり、ガラス玉をつなげた数珠だ。
あの老婦人は多分、お経(コーラン)を唱えていたのだろう。
わたしは彼女の動作の意味を誤解していたのだ。