私はバスに戻ると、すぐに寝てしまった。
2回目に停車したときは、バスの前にいくつかのガソリン給油機があるのが見えた。右の方にはサービスステイションがある。
今回停車したところは、先回停車したところに比べて、明るく賑やか(にぎやか)だった。
あたりの人が着ている衣服はみなトルコ特有の民族服だ。女の人はスカーフをかぶっていて、長い上着と長ズボンをはいている。
トルコのアジアサイドの農村の家族がチラホラと乗車してきて自分たちの座席を探して私たちのそばを通り過ぎていく。私たちの席の近くは乗客でいっぱいになった。
私たちの座席は通路の右側で、左側に座っているのが年寄りの女性と7、8才のTシャツを着た男の子である。
この子は初めて長距離バス旅行にきたと見える。
好奇心で輝く二つの目が気持ちの高揚を示していた。あちらを見たりこちらを見たり、バスの中すべてを見てやろうという様子である。
バスの中央の出入り口付近にゴミ箱があった。
この子は自分でゴミを捨てに行くことをすぐにおぼえて、席に戻って来た。その子の顔は一つの小さな冒険に成功したという満足感にあふれていた。
バスは動き始めた。乗客がみな休んでいる頃、車内の温度が私には低すぎると思った。長袖を着た上に、さらに自分で縫って作ったショールをかけた。
空調が不適切だ。
私は心配でトルコ人の男の子を見た。
その子は半袖のTシャツを着ていた。多分その子は寒いと思っているだろう。
その子は私に見られているのに気づいて、知らない外国人が自分を見ていると不安になったに違いない。
それで、男の子は自分の弱みを外国人に見せまいと背筋をしゃんとして座っているのだろう。
私はトルコ語が話せない。
私は男の子にたずねたかった。
「バスの中は寒いけど、僕よく眠れる?」
私はこういう冷房のところでは、小さい子供は簡単に風邪をひくことを知っていた。
私の息子にしてからが、夏休みに父親の故郷へ帰ってから、風邪をひいて熱を出したことが2、3回ある。
私は男の子の隣に座っているその子のお祖母ちゃんらしき女の人を見た。
しかし、その人は子供が薄着でいることに関心がなく、自分はたくさん着ている。
彼らはバス旅行の経験が少なくて、エアコンが小さい子供に悪い影響を与えるとは思っていないのだろうと疑った。
私は、私の長袖の上着を男の子に貸してあげようと思った。
だが上着は座席上の荷棚にあげてあるリュックサックの中だと思い出した。
私は非常に疲れていて、立ち上がる体力がなかった。
またこのようにも心配した。もしも服を貸したとして、彼らの反応はどういうふうになるだろうか?
もしもイスラム教徒が他人の着た服を身につけることを嫌うのだったら?
承知していないのに彼らの子供が突然外国人に服を着せられたとしたら、どんな反応を引き起こすのだろうか?
私は男の子が寒いと思っているに違いないとは思うのだが、その子にしてみれば、特別の旅行で、騒いでは御行儀が悪いと、辛抱強く眠れないのを我慢しているのかもしれない。
なんて可哀想なの! ほんとにいい子なんだ!
しかしどうしようもない。
もしも私が丈夫だったら、とことん面倒を見てあげられるのに。
その晩、私は心配しながら過ごしたのだった。