軍楽隊は2回演奏を行った。
第1回目が終わってから行進曲を演奏しながらスロープを上って退場した。その後ろで庭に面した扉が閉まる。スクリーンが下りてきて会場は暗くなった。
次に何の出し物が行われるのか分からなかった。
何人かの観客は退室していった。しかし、大多数の観客は座ったままでいる。
そこで私たちは座り続けた。
ホール内は涼しいので私は元気になってきた。
軍楽隊の音楽の音声は迫力がある。
私は、トルコに来てついに軍楽隊の実演を目にすることができたとうれしくなった。
息子が楽しそうに写真を撮っている様子を見て、私はホッとした。
スクリーンで上映されたのは1回目と同じ物だが、こんどはトルコ語の解説付きだった。
先ほどと同じ方法で軍楽隊が入場して演奏が始まった。しかし演奏の曲目が違う。
息子は帰国してから父親に見せようとカメラで軍楽隊の演奏を録画した。録画の長さは12分そこそこだった。帰国してからパソコンで鑑賞した。
実演が終わってから、すぐに出たいと思ったが、博物館の中には退館ルートがない。(気がつかなかっただけかもしれないが)
だから来るときに通ってきた長い長い廊下を戻って入り口に戻らねばならない。
途中で私は廊下の隅に金属の資源回収のゴミの山のような物を見つけた。
変だなあと思ってその山に近づいてみて、すぐに思い出した。
オスマントルコがビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを攻略したとき(1453年)、トルコ海軍を海岸の皇宮殿の城壁に近づけぬように鉄の鎖で金角湾を封鎖したのである。
息子を呼んだ、「来て来て! これが有名な鉄の鎖だよ。鎖が今日の今日まで残っているとは思いもしなかった!」
二人は興奮して写真を撮った。
そこにたまたま通りがかった人たちが私たちの様子で鎖に気がついて、嬉しそうにガヤガヤ喋り始めた。
すぐに大きな人だかりができた。
どこの国の観光客も、ローマの歴史を勉強するのが好きな人なら、だれでも鉄の鎖の故事は知っている。
ちょっと得意だな!
その他には鉄の鎖は独特の工夫がこらされていて、アラビア数字の八の形のリングに似せて造り、互いに絡まらないようにしてある。
ひとつの故事を紹介するなら、この鉄の鎖は役に立たなかったのである。
というのは、トルコ軍が奇想天外な作戦を立てたからである。
トルコ軍はコンスタンチノープルの対岸の現在でいうところの新市街地の海抜60メートルの丘陵地帯に丸太の道路を造ったのである。
1艘の船に2組の車輪を付けて牛に引かせて金角湾の中側に運び込んだ。
一晩の努力の後に80艘の軍船を城郭都市のほとりの金角湾に運ぶのに成功したのだ。
これこそがコンスタンチノープル陥落(かんらく)の重要な原因の一つなのだ。