博物館の間取りは面白い。とても長い廊下。
多分、長方形の四つの辺がすべて廊下になっているのだろう。
廊下の両側が展示室で、中央に中庭がある。
展示品は13世紀のトルコの騎馬隊の想像図から19世紀の近代化された、軍人が学校で勉強する様子の蝋人形(ろうにんぎょう)まであった。
トルコ皇帝のカブトから、参観者に残酷だと感じさせる斧まで。
トルコ帝国がロシアに侵略されたとき、英国とフランスはトルコを助けて参戦した。
この戦争はクリミア戦争(Crimea)と呼ばれ、英国のナイチンゲール (Nightingale)と呼ばれる一人の看護婦がこの戦場で負傷した兵士の看護活動をしたので有名だ。
地下の展示室には様々な大砲が置かれていた。
第一次世界大戦ではトルコはドイツと一緒に連合国(フランス・英国など)と戦った。トルコの犠牲者は3百万人。
その頃の大英帝国は現在のオーストラリア、ニュージーランド、インドを含んでいた。そのため現在でも英国・オーストラリア・ニュージーランド・インドから従軍して戦死した軍人の子孫がたくさん、毎年4月25日のトルコ上陸記念日(ゲリポリの戦い)に慰霊のためにトルコに来る。
かれらは観光バスに乗って曾祖父・祖父の終焉の地を訪れる。
2百台、3百台の観光バスが古戦場(Gelibolu)に向かうのだ。
敵前上陸の犠牲者の数は国土防衛側のトルコを含めて50万人にのぼる。
───(ガイドブックによれば)
この訪問団の話は日本人が中国の大連を訪れるのに似ている。
大連203高地は日ロ戦争の激戦地だった。
私たちがこの長い長い廊下をゆっくりと歩いていると、突然、ひとつのドアが現れた。
戸口には3人の男の人が立って何かを話している。
ガラスのドアは開け放たれて、外は庭だった。
いつから降り始めたのか気がつかなかったが、大雨だ。雷の音まで響いてくる。
大雨が庭の地面をたたきつける音が聞こえる。
私は息子に追いついて言った。
「タクシーに乗ったのは正しい選択だったね。もしも広場から博物館まで歩いていたら、にわか雨に遭ってびしょ濡れだったよ」
しかし、息子は、「いや、僕らは日傘を持っている」と言った。
そこで私は、「こんな大雨が降ったら日傘なんか何の役に立つの!?」
だが、息子は一言もしゃべらない。
それで私には分かった。───
───息子は絶対私には賛成したくないんだな。
私たちは展示品を見ながら長い廊下を歩いて行った。
とうとう、休憩室にやって来た。
休憩室のガラス窓はすりガラスで外は見えなかった。
だから室内はほの暗い。
人は少なかった。
この時、街の喧騒(けんそう)が聞こえた。窓は通りに面しているのだろう。
私たちは丸テーブルに座ってコーラを飲んだ。
二人の博物館の職員が階段の上に立っている。たぶん階段の上がコンサートホールへの入り口なのだろう。
ショウの開始時刻はもうすぐだ。
大勢の産油国の家族連れが三々五々やって来る。
女性の着ているのは黒いチャドル(Chador)で、私にはとても面白い。