私たちはオリエント博物館に入れなかったが、時刻はすでに午後4時をまわっていた。夏のこの時間はまだ暑い。
私たちはゆっくりと道を下っていった。
坂道の南側には城壁があった。
アーチ型の窓をレンガで塞いであるところを見ると、この城壁はローマ帝国の首都ビザンチンの城壁だったのではないだろうか。
西暦1453年ビザンチン(Byzantium)が陥落後、トルコがトプカプ宮殿(Topkapı宮殿)を造る際、もともとあった城壁を利用したものではないか。見てすぐに改修のあとがわかる。
路面電車の通りに出ると、外貨交換所で日本円をトルコリラに換えた。
アヤソフィア大聖堂の入り口で、ミネラルウォーターを2本買った。
今日、見残したのは地下宮殿だ。
路面電車の通りを横切るとき、恐怖を覚えた。というのは、電車が何回もこの通りを走っていくのだ。
しかし、電車が来るときはかならず大きな騒音をたてるので、騒音の聞こえないときに渡ればよいのだ。
アヤソフィア大聖堂の向かいには林や、石段や小さな建物があって、まるで日本の都市部の公園のようだ。
ここに地下宮殿の入り口があるに違いない。
しかし、どこにあるのかわからない。
だから、私たちは一生懸命いろんなところを探した。
と、突然周囲を柵に囲まれた穴をみつけた。穴の中には1本の石碑があった。
私は息子に言い聞かせた。「これは重要なものに違いないよ。写真に撮っておく必要があるよ」
柵には“MILLION(ミリオン)”と表示してあった。
私は“MILIA(ミリア)”というのがイタリアのローマにある里程標だと知っていた。
ローマ人は世界の中心がローマだと考えていて里程標(マイルストーン)を設置して世界の各地がローマからどれだけ離れているかを表示したのだった。
イスタンブールのこの"MILLION"もローマの"MILIA"と何か関係があるのではないか?
帰国してインターネットで検索してみるとやはりこの石碑“MILLION”は西ローマの“MILIA”に類するものだとわかった。
コンスタンチヌス大帝が西暦324年、分裂状態のローマ帝国を統一して、東にあった地方都市を東ローマ帝国の首都に制定した。それがコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)である。
東ローマの里程標マイルストーンは、東ローマの各地がコンスタンチノープルとどれだけ離れているかを示したものだった。
そして私たちの目の前にあったその石碑が東ローマの首都の始発点を示す第一のマイルストーンだったのだ。