私たちの遊覧船はヨーロッパを左岸として航行していったが、右手のアジアの景色の細かいところは見ることができなかった。アジア側にも見たい建物があったが、船が離れているために見られないのだった。
 船はヨーロッパの建物が密集していた場所を通り過ぎてしまうと、目にする建物はみな丘陵地帯の山腹に建っている高級マンションに変わった。
 何枚か写真を撮っていくと、後の景色は前と大差がなく、写真を撮る気がなくなった。
 写真を撮らないとなれば、私は座ってこの日本人の男性とお話をすることになるのだろうか?
 この男性は教養がありそうだし、見た目も素敵な男性なのだ。
 しかし屋根のない船尾であまりにも暑い。暑くて人と話しする元気はないと思った。
 そこで、私はこの男性に向かって、「息子の様子を見てきます」と言って船尾を離れた。
 息子は中央の座席に座って、つまらなそうな顔で風景を見ていた。
 息子は私のために席を確保しようと、グランドバザールで買ったテーブルクロスの入ったプラスチックの袋を自分の隣のベンチに置いている。
 私は屋根のある席に座りたいし、息子と一緒にいたかったので、船尾のあの男性の所に戻って、言った。
 「息子が船酔いしたって言うので、ちょっと面倒を見てきます」
 すると彼は、「息子さんが船酔いしたって?!」と言った。
 こんな風もなく波穏やかな海の上で若い男が船酔いするのか? と思っているようで、驚いたという感情とどうしようもないなあという感情が顔に表れていた。
   
 私は息子の所に戻ってから、船尾に戻ることはなかった。
 私は船尾を離れるために、彼に嘘をついたのだ。
 彼はあそこで私が戻ってくると思って待っていたかもしれない。私が、「暑いところが嫌だから、失礼します」と正直に言っていたら良かったのだ。そうしたら後悔しなかったのに。
 帰国してからもその人のことがずっと気になった。
 彼は例えば一階の船室の席とかに移動することはできたが、まさか、社交の礼儀上、私を待っていてくれたのではないだろうか。
  申し訳ありません!!
 私が壮健だったなら、心ゆくまでおしゃべりを楽しめたものを‥‥‥。
   
 私が息子のそばに座っているとき、遊覧船は第一ボスポラス大橋の下を通りぬけた。
 左岸にはたくさんのクルーザーが停泊している。海岸の建物はみな別荘だ。
 目の前に一艘(そう)の赤い帆船が現れた。帆船には数本のマストが立っていて、美しい姿をしている。
 突然、この船が停泊している海面に、水しぶきが上がった。船上の二人の男の人が次々に海に飛び込んだので、水しぶきが宙に広がったのだ。
 この辺りの水深は深い、流れも速い。
 しかし、その二人は自分達の勇気と力量を見せるために、わざわざ私たちの船が通る時を見計らって、飛び込んだように思えた。
 私はとても愉快になった。
 他の観光客も私同様、彼らの行為を賞賛していた。
   
 遊覧船が北に向かって航行するに従って、緑に覆われた丘陵は左岸の堤防道路までせり出してきた。堤防にはガードレールがない。堤防の海水面からの高さは2メートルばかり。
 この時2、3人の中学生か、高校生かが海中に飛び込んだ。
 海面に波はないとはいえ、大変に危険だと思った。しかし海があるという意味においてはこの辺りは良好なリゾート地なのだと感じた。

ドルマバフチェ・ジャーミー。
うらては工科大学。

ドルマバフチェ宮殿。19世紀中頃になって新しく建てた王宮。ボスポラス海峡の海沿いに端から端まで600メートルの左右対称の建物。フランス人の技師によって建てられたバロック様式。中央奥にはハーレムもあった。

船が進んでいくが、 大きすぎて建物はまだまだ続く。トルコ建国の父・ケマル・アタテュルクはここで執務中になくなった。時計はその時刻9時5分で止められている。

天井の高さ36メートルの大ホールにはビクトリア女王から送られたクリスタルのシャンデリアがぶら下げられている。

宮殿を通り過ぎると再びモスクが現れた。グーグルマップでは同じ名前のドルマバフチェ・ジャーミーとあるので宮殿を左右対称に作るときに双子のモスクとして作られたのだろう。

ボスポラス海峡の眺めはこの辺りから緑の多い丘陵地帯に変わってくる。家もまばらだ。

行楽という感じが強くなる。

ボスフォラス海峡はイスタンブールと黒海の間の川のように長い海峡で、ヨーロッパ側とアジア側との間に二本の橋が架けられている。その一本がこのボスポラス第一大橋である。

第一大橋の下をくぐり抜けると小ぶりなアパートがパラパラと建っているところにさしかかった。

トルコ国旗を揚げた素敵な帆船が係留されている。

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