私たちは9時ぐらいに出発した。
 私は息子に言った。
 「路面電車に乗ってベヤズット駅に行った方がいい。電車を降りたらすぐ目の前がすぐベヤズット門だから。ベヤズット門(Beyazit)は、グランドバザールの入口だよ」
 しかし、息子は今日はとても元気で、「乗る必要ないよ。電車通りを歩いて行こうぜ!」と言った。
 地図を見たら目的地はたった4百メートルしか離れていない。私たちは歩いて行くことにした。
   
 天気は晴れ。太陽はぎらついている。
 路上は比較的人が多い。歩いている人は多分みな仕事に行く人だろう。
 この通りは、一昨日(おとつい)長城に行くときに乗った路面電車の通りだ。だから、この通りには独特の形をした建物があることは知っていた。
 通りの商店は、ガラスのショウケースに、パン、ケーキなどのお菓子、腕時計や装飾品などのここに生活している人たちなら買うような商品を並べていた。
 まさに今営業を開始するのに忙しい。
 路肩に2、3台の車が停めてあった。
 私たちの前を歩いていた皮膚が浅黒い若い男性が一人、突然右に曲がって、装飾された柵のはまった窓が幾つもあいた石塀の門をくぐって、小さな寺院に入っていった。
 息子は私が寺院の門の前で止まったのに気がつかないで、一人でどんどん前を行ってしまう。
 私は息子に戻ってくるように呼んだが、息子は嫌がった。しかし私は寺院の中に入った。
   
 あの男性はガイドブックを見ながらゆっくりと境内を見ている。もしも、その人が前を歩いていなければ、オスマン帝国の皇帝の墓を見る機会を、もうちょっとで逃すところだった。
 寺院の建物は多くはない。境内のほとんどは石材で舗装されていて、たくさんの墓がある。
 墓碑の形状は石碑型で、その上にいろいろな形状の頭が乗っている。
 あるものはターバンを巻いた昔の王様の頭のようで、あるものは耳当ての付いた防寒帽子をかぶったような頭のようなものもある。多分、生前の身分を表しているのだろう。
 そのほか頭の尖っていて、パン生地を延ばす、のし棒のような形のものも境内には立っている。
 墓碑の間には樹木や草花が植わっていて、今を盛りに花が咲いている。
 ガイドブックによると、この墓地は、マフムド二世(Mahmud Ⅱ)(1808-1839)の墓であるという。若くして亡くなった皇帝だ。コンスタンチノープルを落としたあのメフメト二世(Mehmed Ⅱ)とは名前は似ているが別の皇帝だ。
 東ローマ帝国を滅ぼした最強のオスマン帝国の皇帝ならばその墓は他を威圧する広大なもののはずなのに、こんなに小さいなんてありそうもない。
 しかし、マフムド二世は近代の皇帝だ。勢力は以前の皇帝たちほどではないだろう。
 あるいはイスラム教徒はそんなに大きな墓を必要としないのだろうか? 明、清など中国の歴代皇帝の陵墓を思い出すと宗教の違いか文明の違いかと感じる。
 他の民族に対して残酷な統治をした強大なトルコの印象からすると、皇帝が家族や家臣をともなって埋葬される墓所がこんなに小さいの?という感じだ。
 あるいは皇帝の石棺は私たちは入ることができなかったが、建物の中に安置してあるのだろうか?
 私たちが見た墓石はみな家臣のものなのか?
 この何十個かの墓石の下に葬られた人たちは、いまも地面の下で仲良く暮らしているような気がした。 
 息子が私に言った、「僕らは遊覧船に乗るの乗らないの? 早く行こうよ!」
 そこで私は何枚か写真を撮って、すぐに寺院を出た。
   
 しかし、50メートルも歩かないうちに、面白い石碑を見つけた。私の足はまた止まってしまった。
 道のそばに小さな広場があった。広場の真ん中の石柱はローマ時代の石柱と同じものだろうか?
 たいていの石柱は、ローマ時代にエジプトから運ばれてきた方尖形の石碑(オベリスク)だ。イスタンブールで私たちが見た三本の記念碑の公園(ローマ競技場跡)の2本はオベリスクで、残りの1本はギリシアの寺院から運んできた青銅の柱だ。
 しかし、今、私の目の前にあるのは、エジプトから運んできたオベリスクではないんじゃないか?
 この石柱の形状は、いままで私たちがみた石柱のどれにも似ていない、独特の特徴を持っていた。
   
 【オベリスク】;古代エジプトで神殿の門前の両脇に立てられた石造りの記念碑。方形で上に向かって細くなり、先端はピラミッド型。
ローマ時代にはエジプトのオベリスクを戦利品として、あるいは古代文明の遺品を収集し鑑賞するのが流行したため、多くのオベリスクがエジプトから外に運び出され公共の空間(競技場など)に移築された。
現在イタリアのローマに観光に行けば、ポポロ広場、サンピエトロ広場、ナボーナ広場、ロトンダ広場(パンテオン前)等、随所に見受けられる。
   
 【石柱】;石でできている柱。石の柱。ローマ時代にそれ以前のギリシア神殿などを壊して、建材として持ち去り別の建造物に用いたり、移築して記念柱としたものなど。
もちろんローマ時代に建造された柱もある。多くは大理石で彫刻がほどこされている。

通りのマーケット

スルタンアフメット通りぞいに見つけた
マフムド二世廟。

面の伸ばし棒のような墓石。日本では僧侶の墓は
こんな形なので、トルコでもそうかもしれない。

身分の高い人の石棺かもしれない。

通りぬけはできないようだ。

立派な墓碑

皇帝一族の墓

マフムド二世廟は旧市街のスルタンアフメット通りに面してひっそりと建っている。院内の庭にはたくさんの墓標が潅木や花々に埋もれるように立っている。その中でもターバンや帽子をかぶった墓標が興味をひいた。

チェンベルリタシ(たがのはまった石)とよばれるコンスタンチヌス帝の記念碑。崩壊を防ぐために金属の輪で数カ所留めてある

エサをもらったのか広場いっぱいに広がって何かをついばんでいるハト。

台座にはたくさんのハトがとまっている。

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