私たちはホテルに帰ると、シャワーを浴びてベッドで休んだ。
 息子が言った、「部屋を出たところの階段を上がっていくと、屋上のレストランがあるよ」
 今日の午後、息子は一人で、階段を上がってレストランを探しに行ったのだった。
 ホテル内のレストランは一般的に言って、街に出た場合よりも高い。しかし、今日の夜は、ホテルの中で晩ご飯にしようと決めた。クレジットカードが使えるならば、現金を持っていなくとも問題ない。
   
 外はすっかり暗くなった。
 私たちは階段を上がって、レストランにやって来た。
 レストランの壁はガラス造りで、その外のテラスはガラスのフェンスで囲まれていて、数個のテーブルが置かれている。テーブルの一つには客が座っていた。
 従業員が私たちのために、東側のテーブルを準備した。
 彼はテーブルにガラスのコップの中にセットした蝋燭(ろうそく)を置いた。
 蝋燭に火を点けたが、海辺から吹いてくる風が二度までも蝋燭の火を吹き消してしまった。
 6、7階建てのホテルの南側はマルマラ海だ。
 目の前には寺院の伽藍(がらん)が一つ見える。海側にももう一つ小さな伽藍が見える。
 どこからか光で照らしているのか、ぼんやりと照らし出されたドームは人をホッとさせる柔らかな雰囲気がある。(目の前の寺院はソクルル・パシャ・ジャミイ、海側がキュチュク・アヤソフィアである。)
   
 料理を待っていると、突然10時の礼拝の放送が聞こえた。
 私と、息子は寺院の放送が録音か生放送なのか当てようよと、興味を持って聞いていた。
 とその時、まさに、ある寺院の拡声器の声の中に、咳が混じった。わたしたちは笑った。
 この時、海側のテーブルに座っていた三人の客の一人が私たちの所に来て、
 「まあうれしい! 何語かと思ったら日本語だわ」
 蝋燭の光だけの暗い所だ。
 三人はみんな欧米人だと思っていた。しかしその中の一人は日本の女の人だったのだ。
 彼女は私たちの目の前で立ったまま話した。
 彼女の故郷は(日本の)広島の近くの旧日本軍の軍港の街、呉(くれ)だと言う。彼女はアメリカ人の男性と結婚して(アメリカの)アラバマに住んでいるという。
 彼女のご主人は一人でヨーロッパ旅行を二か月してきて、今、彼女と娘さんが合流したところだそうだ。これから、エーゲ海の方に行く予定だという。
 私は、クシャダスで細菌感染して入院したのだと言った。
 彼女は、「でも今は元気になって、すっかり良いんでしょう!?」と言った。
 それから、日本にいる妹を誘ったが、妹は来られなかったと言った。話し終わると自分のテーブルに戻っていった。
 食事を終えると、私は彼女の所へ行って、「私は帰ります。それではバイバイ!」と言った。
 (私の言ったバイバイはまるで教育のない人の話し方のようでもあり、子供の言葉でもある。)
 言ったとたん恥ずかしくなった。
 50才ぐらいのその日本婦人はすぐに返事をした。
 「ごきげんよう!」
 私は彼女の日本語は50年前の上品な日本語だと感じた。
 「ごきげんよう」は現在ではテレビのアナウンサーが使う言葉になっている。私たちが日常生活で使ったとしたら変に気取っていると思われる。
 元々の意味は、精神の状態がハッピーでありますようにという意味でもあろうか。

海風が強くなかなか火を付けられなかったランプ。

ホテルの屋上レストランから見えるライトアップされた海辺のキュチュク・アヤソフィア・ジャーミー。

ホテルの屋上レストランから見た
ソクルルパシャ・ジャーミー。

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