私たちは坂道を下って戻り始めた。
 劇場の西側の道路には日陰がどこにもない。私たちは日傘をさしていた。
 しかし路面には植物が生えていないので、地面の温度は高かった。
 息子は、一人で、たったか坂道を下っていく。
 私は暑いなあと思った。すぐにでも気を失って倒れてしまうようだった。
 昨晩は夜行バスの中で寝た。疲れていたのでよく眠ったようだ。
 しかし、体への負担が、度を超していた。
 歩いているその足が、どんどん重くなる。ついに2百メーター下の泉水殿(Temple Nymphaeum)の近くに来たときには、私の両足に力はなく、しびれを感じていた。
 古代ローマの魅力に引き寄せられたと言っても、こんな過酷な条件の下で、乾燥して何も生えないところにやって来て、とうとう私の体は脳みそに対して哀れっぽい声で叫んだようだ。
 「前には進めない!」
 この時、息子に助けてくれという方法が思い浮かばなかった。
 古代プールの周りの林はわずか50メートルほど先だ。
 しかし石垣や生け垣が邪魔をして通行できない。観光客は泉水殿の遺跡を迂回して150メートルは歩かなければならない。
 この時、私は自分が熱中症にかかっているという可能性に思いいたらなっかった。
   
 私は息子の後をのろのろと歩いて行き、ついにレストハウスに戻った。
 トイレに行きたくなった。
 息子をトイレのそばに待たせて、トイレに入った。トイレはちょうど空いていた。幸いにも洋式トイレだった。
 もしもトルコ式便器だったら腰を曲げてしゃがむことなどできなかっただろう。私の両足は麻痺して重たくなっていた。
 排尿時に変だと思った。排出されたおしっこが熱水のように熱かったのだ。少なくとも皮膚の温度よりは高かった。
 子供の頃、扁桃腺が悪くて、しばしば39度の高熱を出した。私は子供の時の病気の感覚を思い出した。
   
 洗面台で手を洗うとき、水道水が飲めないのが大変残念だった。水道が衛生的かどうかわからなかったからである。
 そこで体を冷やすために顔を洗うことにした。
 黒髪の若い女の人が、怪しいぞという目つきで私を見ている。
 そこで人目を引くような異常があるのかと思って、鏡で自分を見た。
 顔が赤くなっている。今までこんなに自分の顔が赤くなっているのを見たことがない。
 この時になって初めて自分が熱中症になったんだと気がついた。早く冷たい水を飲まなくてはならない。
   
 息子の所へ戻ると、息子は、「お母さん、顔が赤いよ!」
 息子はこの時初めて、母親がおかしな事になっていると気がついたのだ。
 息子自身も極限状態だった可能性がある。
 顔を洗ったせいだろうか、私はだんだん気分が良くなってきた。
 レストハウスにはミネラルウォーターがなく、コカコーラを除いて飲むものがなかった。しかし冷蔵庫で冷やしたコカコーラは美味しかった。
 もしもあの暑い屋外をあれ以上歩いていたら、私は意識を失っていただろう。
 そうしたら、誰が助けてくれただろう。私は涼しいところで休む必要があった。
   
 ところが私たちには充分な時間がないのだ。
 あと25分しかない。私たちはレストハウスを後にした。もう2時50分になっていた。
 考古学博物館のそばの道路はものすごく暑い。鉄のフェンスの向こうの博物館の敷地には、ローマ遺跡から発掘された石材が置かれている。
 大理石の円柱、台座などの様々なものが、つらい行程を慰めてくれた。
 しかし突然、古代の長い石造りの壁が歩く先の路上に現れた。50センチ下に飛び降りなければ前に進めない。
 しかし私の足はまだ完全には回復していない。それで石壁に沿って迂回しなければならなかった。
 息子が私の所に戻ってきて、「母ちゃん、こんな低い石段々(いしだんだん)も飛び降りられないの?」と言った。
 南ゲートが近づいてきた。道はだんだん人が多くなってきた。
 ほとんどの観光客は濡れた水着を着ている。観光バスの中で水着を着ていても問題はなかったのだ。私は石灰棚や古代プールで水遊びをしても良かったのにと思った。
 ようやくのことで、南ゲート広場のガラスの屋根の下に到達した。

古代温泉プールと考古学博物館の間の道を南門目指して帰る道すがら、博物館の敷地に無造作に転がしてある発掘品を鑑賞させてもらった。

博物館の敷地

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