私と息子は朝食後、部屋で休息を取った。
 ここに初めて来たとき、五つのベッドのカバーは使った後の乱雑さでぐちゃぐちゃだった。
 ベッドのシーツも換えていない。たぶん宿泊費は安いのだろう。それでも、ベッドの上で手足を伸ばしてリラックスすることができた。
 開け放たれた窓の白いレースのカーテンはわずかにゆらゆらと揺れていた。
 時間が10時ぐらいになるとホテルに宿泊している子供たちが、待ちきれずに泳ぎ始めた。彼らのキャーキャー言う歓声と、水を打つ音、前進していくときの水音が聞こえてきた。
 このホテルはトルコ人の国内観光客や、格安旅行を目指す外国人のための宿泊施設なのだろう。
 ベッドの上で休んではいても、夜行バスの中でよく寝たので眠ることができない。
   
 この地方の旅行社の観光バスは11時半に迎えに来る。私たちはスーツケースを持ってロビーに降りていった。私は一人でホテルの向かいにある商店に行った。
 商店の外には色の鮮やかな浮き輪が掛けてある。
 店の中には一人の老婦人がいて、食料や飲み物などを売っている。
 私はアイスクリームが欲しかったが、なくて、ミネラルウォーターを買った。
 私は息子と外に出て車を待ったが、時間が来ても来ない。
 20分以上たった頃、自分の携帯で電話をしようとして、もたもたしていると、ホテルの従業員が親切に旅行社に連絡を取る必要はないよと教えてくれた。
 するとすぐに車が来た。乗って5分もしないうちに、別のホテルに着くとその脇で、大型の観光バスに乗り換えた。その後5分ぐらいで、バスはひとむらの林と畑のある農村に停車した。
   
 私たちはリュックを背負って、ほかの観光客の後ろをついて歩いた。バスから歩いていく地面の上にはビニールシートが敷かれていて、何だろうと思いながら歩いて行くと、テント屋根の食堂に着いた。ビニールシートが床板代わりに敷き詰めてあったのだ。
 私たちはテントの下のテーブルに座った。
 テントは非常に大きくて、10人は座れる長いテーブルが20個以上もある。中央の2、3個のテーブルの上にバイキング料理が置いてある。たぶんここは団体客を狙った夏季限定の屋外レストランなのだろう。
   
 私たちは中央テーブルに自分の皿に料理を盛りつけに行った。
 私がまず盛ったのはトマト味の炊き込み御飯(トルコではピラフではなくピラウ)で、次にどの料理を取ろうかと決められないでいると、たくさんの欧米人で混雑しているところがあるのに気がついた。
 私はすぐに彼らに近づいた。
 欧米人が礼儀正しく、しかし気持ちは焦ったようすで盛りつけているのはサラダだった。
 棒状に切ってあるにんじんと、名前を知らないのだが、奇妙な形をしたパセリのような緑色の野菜だった。それには3センチぐらいの節があって、節と節の接合部から放射状に針状の葉っぱが出ている。
 どうして欧米人はこの野菜が好きなのかわからないが、私もこのサラダを取ってみた。
   
 テーブルに戻ると息子はすでに食べ始めていた。
 しかし、息子は、ウェイターがやって来て、私たちのミネラルウォーターをテーブルの下に置いてしまったと言う。それでこのレストランは飲み物を買うように要求しているのだとわかった。
 そこでウェイターを呼んでミネラルウォーターを買った。
 私たちはいつも高額紙幣しか持っておらず、釣り銭を取りに行くウェイターにとっても、私たちにとっても、水を注文するのは本当にやっかいだ!
   
 私が取り分けてきた料理は期待したほどは美味しくなかった。炊き込みご飯は生煮えで芯があった。
 客が多すぎて、準備が間にあわないのだ。
 テントの傍らに農家が一軒あった。たぶんあの農家で、コックとこの農村の素人が大忙しで料理を作っているのだろう。
 またここでも、たくさんのハエがテーブルの上に飛んできて、料理にたかっているのを見つけてしまった。屋外レストランのそばは、畑や放牧場なのだから、これは当然起こりうることだ。
   
 ご飯を食べた後で、バスに戻るときに、レストランと道を挟んだ反対側の木陰に、スイカ売りの数人の農民がいるのに気がついた。
 彼らは丸ごとスイカを売ろうとしている。
 しかし観光客には買うことができない。というのは私たち観光客はナイフを持っていないから、切ることができない。そのうえ食べきれない。丸のままのスイカが売れるわけがない。
 スイカは切って、カットフルーツとして売った方がよい。

ホテルの前で迎えを待つ。

パムッカレはローマ時代より綿花の生産地帯だった。いまでも農業が主要産業である。夏季限定とみられる 屋外レストランのまえのスイカ売りのお百姓さん。

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