息子と私は、朝食のあと旅行社に戻って、一階のソファーのそばでリュックサックの準備をした。二人の日本人らしい女性が現れたが、私たちを見たものの話しかけてこなかった。
 道路に面したところに事務スペースがあり、奥の方がソファーとトイレの入り口だった。私たちがここに来たときはあの青年と私たち二人の他だれもいなかった。
 しかし、だんだん人がやって来て、騒がしくなった。ツアーの出発は9時半だ。とうとう白いミニバスが旅行社の前にやって来たので、私たちはすぐに外へ出た。
  
 黒いタンクトップとグレーのショートパンツをはいた若い女性が私たちに、挨拶をした。(私はキレイな人だなと思った。彼女がガイドだった。黒い髪と風貌からトルコ人だと思った。)
 彼女は英語で、「Nice to meet you ! 」と言った。
 そこで私も英語で挨拶をした。
 私たちが車に乗ったあとで、ミニバスはほかの観光客を迎えに何軒かのホテルをまわった。
 乗り込んできた観光客は大概英語を話せる欧米人だった。二組の夫婦、60才ぐらいの男性、女性同士のペア、みんな若くはない。
 ミニバスは建物のない乾燥したところを走っていく。
  
 ガイドは、私たち旅行者同士も交流した方がいいので自己紹介して下さいと言った。
 彼女は私たち旅行者も和気あいあいと観光することを望んでいた。
 しかし金髪のショートカットの女性が、
 「私はあなたの意見には同意しかねますね。もしも私たちの個人情報が悪用されたらどうするの? 」
 私はこの夫婦は有名な大富豪かもしれないと思った。
 (もちろん、これは冗談。)
 あるいは、私たち?のような気むずかしい人なんだと思った。
 (今にして思えば外は暑いし、知らず知らずのうちに皆、不機嫌になっていたのだ。)
 車の後部座席に座っていた私は手を上げていった、
 「私たちは日本から来ました。私はMASAKO,これは息子のTEPPEIです」
 ガイドは振り返って私たちを見た。
 他の観光客たちは互いに話していた。しかし、自己紹介をしようという提案は結局どうなったのか、わからなかった。
  
 バスはすぐに木も生えていない太陽が強烈に照りつける白い巨石地帯に着いた。一目見てこれは浸食された凝灰岩だと見て取れた。大部分が灰色を帯びたピンク色だった。
 私たちが車を降りると、ガイドは20分の自由時間をあげますと言った。
  —————( UÇHİSAR(ウチヒサール) 村 )——
 私たちが立っている場所は、山の斜面で、でこぼこしているし右足の載っている斜面と左足の載っている斜面の傾斜角も違う、方向も違うという有様で、立っているのも難しかった。ガイドが自由時間をくれたと言っても、暑すぎるし、めちゃくちゃ乾燥してるし、日を遮るものが何もない。
  
 私は一カ所にとどまり、あたりの様子を観察した。
 遠くの一本の木の下に、一匹の山羊がいた。
 突然、排泄物の臭いに気がついた。これは強烈で意外だった。
 臭いがどこから来るのかと見回すと、駐車場の観光バスの周囲にはアジアから来た観光客が十数人いた。何人か小学生もいる。
 たぶん中国から来た富裕層の家族だろう。
 彼らは自分の子供をラクダに乗せて、ラクダの排泄物を気にもとめず、一心不乱になって写真を撮っている。
  
 私は思い出した、20年以上も前に北京八達嶺に行った時に、こんな風景を見たのを。西安に行ったときも同じだ。トルコ人はラクダ好きの中国人のためにラクダを用意したのだ。トルコ人の商売人魂は相当のものだと感心した。
 この時は、「どうしてここでラクダなんか飼うんだ!」と、環境保護の観点から良いことには思えなかった。しかし、イスタンブールに帰ったあとで知ったのだが、ラクダはローマ時代からオスマン帝国時代まで砂漠の商隊の重要な交通手段だった。
 私たちはその後、イスタンブールの皇宮殿の門の前のラクダの写真(百数十年前の)とビザンチン宮殿遺跡のモザイクの床に描かれたラクダを見て納得したのだった。

 

ウチヒサールの岩山のふもと

ウチヒサールをのぞむ

見に行っても良いよと言われても
20分やそこらではたどり着けないですよ。
がんばって登っていく観光客。

カッパドキアのウチヒサール村の大きな岩山の見えるところで記念写真をとる。岩山には今でも洞窟住居が有り人が生活している。

カッパドキア・ウチヒサールの近く。 記念写真を撮る。ムム、でもこの悪臭は?ラクダがいるよ、ラクダだ!

放牧された山羊さんも暑くてうなだれているよ。

乾ききった荒れ地にもけなげに咲く花

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