私たちはすぐにバスを降りて、バス会社の従業員が私たちの荷物を探し出してくれるのをバスの横で待っていた。
 この時一人の青年が叫んだ、「Masako Sugiura ! 」
 私たちは応答した。彼は私たちがお世話になるここの旅行社の社員のようだ。
 私とトルコの青年は初対面の挨拶をした。
 するとこの青年は、どうして息子が英語を話さないのかと尋ねた。
 そこで私は、息子は高校で英語を勉強しているが、外国人と英語で話す機会がないのだと説明した。
 私は彼に年をきいた。彼は17才だという。
 私は感嘆の気持ちで言った。
 「あなたは英語が上手ですね。私の息子は16才です。」
 彼は私たちを旅行社に連れて行ってくれた。彼が前を歩き、私たちは後ろを歩いた。
 この時、息子が突然こう言った。
 「僕の首がしびれてるんだよ。エコノミークラス症候群かもしれない!」
 一昨日(おとつい)の晩、イスタンブールのホテルのベッドの上で電子辞書を使って興味のある言葉を調べたと言う。
 「電子辞書ではエコノミークラス症候群の初期症状はこんなふうな首の麻痺なんだよ」
 私には息子の言うような知識はなかったが、私はこう言い返した。
 「見てごらんよ。このあたりはこんなに田舎じゃないの! もしも、CT検査機がある病院に行こうと思ったら、2時間かそこいらの時間がかかるんじゃないの。
 CT検査の結果は異常なしという可能性が高いよ!
 病院に行かないというのが今一番いい選択だと思うよ」
  
 私たちはトルコ青年の後ろを歩いていたが、あたりは静かで、すがすがしい夏の早朝である。
 しかし私たちは不安な気持ちで道を歩いていた。
 息子が心配そうにしている様子を見ると、トルコに来てからというもの、息子がいつもいつも面白くなさそうにしていることを思い出した。
 そこでとうとう堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れて叫んでいた。
 「どこへでも行きたいところに行っちまえ!」
 私の声はトルコの青年を驚かせたに違いない。
 しかし、彼は私たちのいざこざには注意を払わず歩き続ける。私は恥ずかしかった。
 (帰国後、夫が息子を脳外科に連れて行ったが、ドクターはエコノミークラス症候群には首の麻痺はないと言った。今思うに、あの症状は夜行バスで寝たことによって寝違えたのだろう。)
 巨石地帯には高層の建物はなく、数軒のこぢんまりした建物があった。その中の一軒が旅行社だった。
  
 トルコの青年は私たちに、午前中はホテルのチェックインができないから、旅行社が私たちの荷物を預かってくれる事と、午前9時半にショートトリップが始まる前に街で朝ご飯を食べる必要がある事を教えてくれた。
 そこで私たちは街の風景を見ながら、レストランを探した。
 時間が早すぎて開いているレストランがない。
  
 一軒のカフェを見つけた。
 店内の一方には菓子やケーキのガラスケース、もう一方には小さなレストランが入っている。
 私は小太りしたアルバイトらしき高校生に声を掛けて、飲み物やチョコレートケーキやパンなどを買った。
 私が店内のテーブルで食べていいかと聞いたが、箒(ほうき)を手にした彼は、「No ! 」と答えた。
 彼は店の外のテーブルを指し示した。
  
 私は不満に思いながら、店外のまだ傘の広げてないテーブルに座った。
 太陽の光が体に照りつけ、非常にまぶしい。
 気温はどんどん上がってきている。
 しかし予期せぬ事に、その高校生は私たちの所に友達といっしょにやって来て、慣れない手つきで私たちのために日傘を広げてくれた。結局のところ、彼らは客に対して親切なのだと私は感心した。

 

カッパドキアのギョレメ地区

早朝より開店していたカフェテリア

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